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POSTED Tuesday, November 30, 2010 18:42

エジプト旅行記⑦ 10月28日後編〜10月29日前編

アスワンの空港に着いたのは日付が変わって29日、午前0時を回った頃だった。東京を出発するときには考えてもいなかったエジプト航空の国内線に乗り、機中では後ろの座席の天使のような子供にずっと頭をいじられながら、いよいよエジプト旅行はカイロ以外の街へとそのルートを伸ばしはじめていた。

真夜中のアスワン空港では、"Takeshi"と書かれたカードボードを手にした男性が待っていて、宿で仮眠を取った後、アブシンベル神殿行きのバス停まで案内してくれるということだった。どうやらソニーはこういった人間関係を国中の観光地に築いており、この男性にソニーは友達なのかと聞いてみると、実際に会った事は一度もないということだった。

夜道をかっとばす車中がやけに明るいのはルームライトがつきっぱなしだからだが、その理由は尋ねるまでもなく、この車のヘッドライトが切れているからだ。カイロの街で歩行者をどかすためにクラクションではなくパッシングをしている車を見かけたら、その車はまず間違いなくホーンが壊れている。最初そういう車を見かけたときには、ああ、ずいぶん紳士的な人もいるもんだ、なんて思っていた。「人は目に見える事実ではなく、そこに自分の見たい物を見る。」まるでアルケミストの酒場のシーンと一緒だな、なんて考えているうちに、アスワンハイダムを横目に車は市街地へと入り、決して大ぶりではないが小綺麗なホテルの前で停車した。

エジプトに来て初の一人部屋は2時間ほどの仮眠だけで終わり、これなら別に道ばたでも良かったけどなあなんて思いながら、バス停に到着したのが午前3時半。武装した警察車両に前後を挟まれ、コンボイ状の車列でアブシンベル神殿を目指すのだが、ルクソールの襲撃事件やハルガダでの爆弾テロ以降、いかにエジプト政府が観光産業を守る事に心血を注いでいるのかが伺えた(そのために多くの弊害も起きている)。バスにはさまざまなツアー客やバックパッカーがすし詰めで詰め込まれ、3時間強の間、補助席で揺られたのはケツには意外ときつかったけど、ここには集団行動の要素は全くなかったから居心地はそれほど悪くなかった。


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コンボイを構成する車両が続々と集結する。俺が乗ったのは画面右、手前のバス。

(にも関わらず、なんだか少しやさぐれはじめてるぞ。一人でいるのは自ら望んだ事なのに、なんでツンツンしてんだっつうの。どうせ溶け込めないなら、先に自分から閉じてしまえってか、この臆病者め!)

なんて思考で何度目かの砂漠の朝を迎え、午前7時を若干過ぎた頃、歩き方の遺跡BEST1位だったアブシンベル神殿に到着しました。イェーイ!

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コンボイとは言え、車間はけっこう開き、、ってかさすがに離されすぎじゃないッスか??

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アブシンベル大神殿。空すごいきれい!

ラムセス2世とネフェルタリの間にあった絆は、きっとどんなものより強かったに違いない。数千年の時を経て遺された遺跡からは、今もはっきりとその温もりを感じることができた。ため息が出るほど荘厳な建築も、壁画も、そのことほどには心を動かさなかった。

アブシンベル神殿の巨大立柱を眺めていると、ふと日本人観光客二人組に声をかけられる。そう言えばロンドンのナショナルミュージアムでもこんなことあったっけ。なんだかツアー先で誰かに話しかけられたような、そういう良く知った空気に癒されながら、時間めいっぱい遺跡を駆け回り、9時出発のバスにギリギリ間に合うように駐車場に戻ると、運転手が自分の他にもまだ数人の帰りを待っていた。目の前に広がる巨大な美しいダム湖を眺めているうちに、もっと広い心が欲しいなあと思った。広い心ってそもそもどういうものなのかさえ分かんないけど、どうしてか、なんでもかんでもいいよいいよーって言うだけとは違う気がする。


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アスワンハイダムの建設で生まれたダム湖。美しいが、その影響でこの地域に雲が出来るようになり、気候全体が変わりつつある。いい変化になるといいなあ。

帰りも補助席に座ろう。そうじゃないと誰かがあのケツの痛みに苦しむことになるからな。ほんの少しのそういう気持ちと、お前俺の席取りやがったな、なんて数時間思われ続けたら面倒くせえという大部分の気持ちのせいで、外でぼけーっと補助席以外の席が埋まるのを待ってからバスに乗り込むと、席順はすでに来た時と全く変わっていることに気がついた。ま、そんなもんでしょ、と思いながら補助席を出していると、車両右の窓側、一人がけの席に座ったおじさんが、左側の奥さんらしき人の隣の空席に移動して、親切にも声をかけてくれた。

白人男性「(さっきまで彼が座っていた席を指して)ここ座んなよ。ほら。」
「あ、いや、いいんすよ。俺ちっちゃいから補助席ぴったりだし。」
白人男性「いやいや、空いとるんじゃから。補助席から埋まったら後の人も乗りずらかろう。」
「うーん。。ま、そう言うなら。」

と、窓側に座ったのだが、最後に乗り込んで来たアメリカ人カップルが二人とも補助席に、縦に並んで座る事になったあげく、元々彼らの座っていた席に座っている乗客にやんわりと文句を言い始めたので、席の交換を申し出た。

「換わるよ。俺もともとそこだから。」
アメリカ人女性「いいの。大丈夫。」
アメリカ人男性「換わってもらえばいいじゃないか。君は体調が悪いんだから。」
「うん。ほんとに。全く気にしないで。」
アメリカ人女性「いいの。ほんとに大丈夫。」

しばらく説得しても頑に席を換わろうとしない女性の方は諦めて、旦那にあんたこっちくればいいじゃん、と言うも、まあ彼女が大丈夫だって言うんだから、とバスはそのまま発車した。道中、女性はなんとか眠れているようで、暇そうにしていたアメリカ人の旦那ジョンとしばらく会話をしたあげく、俺は彼のiPodに入ったエジプト古代文明の解説を聞きながら、彼は俺のアルケミストを読みながら、一路アスワンの街へと戻った。てきとーにバスを降りて迷子になっている俺を見て、ジョンが一緒に探してあげようか?と言ってきたのだが、体調の悪い彼女を気遣うところを見るとこれは彼一流のお別れなんだろうなとすぐに分かった。

「自分の道ぐらい見つけられるよ。ありがとう。」
「そうか。がんばってな。」
ニコリと笑って去って行くジョンを見て、京都でぶぶ漬けを薦められたときもおんなじことが出来るかなあ、と思うのだった。

アスワンのスーク(商店街のようなもの)でひとり昼食をすませると、ルクソール行きの電車まではまだ一時間ほど残されていた。偶然にも神殿で出会った日本人二人組とスーク内で再会し、3人でシーシャを吸ったのは、この旅の中でもとりわけ素敵な思い出の一つだ。;-)


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ピンぼけだけど、お昼ご飯。店内のテレビではずーっとモスクの生中継。

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アスワンのスーク。

そう言えば一つ、やり残したことがあった。カイロを出たときの計画通りに行けば、残りの日程はルクソールの遺跡群観光に費やし、夜行列車でカイロに戻ることになるのだが、一等寝台、個室の夜行列車に興味が持てないことに加え、どうしても、ここまで来たならどうしても、紅海で泳ぎたい、なんて思いが強くなってしまったので、アスワンのガイドから受け取る手はずになっていたルクソール〜カイロ間の列車チケットを、払い戻す必要があった。

例の宿の男性に駅まで同行してもらい、払い戻しの手続きを済ませると、彼の手元には40USドルと言うちょっとした大金が手に入った。それは俺の払い戻し金なのになあと思う俺を尻目に、彼は紙幣を握りしめたままソニーに電話をかけた。アラビア語での会話だが、なぜかこういう会話は分かるもので、たぶんほとんど間違ってはいないだろう。

宿の男性「40ドルあるけど、こいつにいくら渡せばいい?」
ソニー「40ドルだ。」
宿の男性「何言ってるんだよ?こいつは日本人だぜ?馬鹿らしい!」
ソニー「いいから黙って全額をタケシに渡すんだ。」
宿の男性「じゃあ、20ドルでどうだ?」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「30ドル!」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「35。」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「・・・・。」

しぶしぶ40ドルを差し出すその手からパッと現金を受け取ると、一日ありがとうと礼を言ってチップを渡し、すでに到着していた列車に乗り込んだ。ソニーってやるなあ。でもって、こいつは信用出来そうだと思った俺の勘も、たまには当たるもんだと思った。(続く)



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アブシンベル神殿の横にある、ネフェルタリのアブシンベル小神殿。

両者ともユネスコにより、水没をまぬがれた。