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February 2017 ARCHIVE

POSTED Wednesday, February 22, 2017 18:27

ネパール旅行記④ - 2017/01/30

ついに来たか。。


ネパールに来ようと決めてから、この瞬間がいつか来ることだけは分かっていた。それでもやはりなかなか勇気が出ない。このロッジには暖房がなく、一刻も早くパンツを上げて毛布にくるまらないと、翌日の体調を崩すことになるだろうという事実だけが、俺の背中を押してくれていた。


ここのトイレにはトイレットペーパーがない。たとえあったとしても、このトイレはトイレットペーパーを流せるようには出来ていない。ソッコーで詰まるのだ。そのため空港やホテルなどのトイレには、使用後のトイレットペーパーを捨てる専用のごみ箱があったりするんだけど、この山小屋にはもちろんそれもない。インドになかなか行けないのも、この、左手でケツを洗うという習慣に飛び込むのが恐ろしかったからだ。なんて臆病なんだ俺は。なんてこたあねえ。自分のケツじゃねえか。触れないなんてこたあねぇ。ふうう。いったれいったれー!


そうして旅は俺にまた新しい景色を見せてくれた。今ならわかる。なぜ左手は不浄の手なのか。そしてなぜこの文化圏の人は食事の際に右手しか使わないのか(地元の人たちはダルバートを手で食べるし、それは正直スプーンで食べるより旨そうだ)。わかる。俺にはわかるぜ。左手で喰ったら絶対腹こわすもんなこれ。


昨晩、牛と夕陽の写真を撮った後でふと、待てよ、湯のシャワーが出るって言うけど、それが本当に暖かいなんて保証はどこにもないぞ、陽が完全に沈んで気温が急激に下がる前にシャワーを浴びておくべきだ、そう思い部屋に戻ると、ああ、よかった。今日は頭が回っててよかった。体温より若干低めの、ぬるま湯と呼ぶには少し温度が足りないシャワーを浴びるのが、氷点下の気温の中でなくて本当によかった。全身の筋肉に力を入れて自家発熱をしながらシャワーを浴びる。歯はカチカチと音を立てるが、不思議と、今の日本ではなかなか味わうことのできなくなった不便さに再会できたことに、心は喜びの声を上げていた。きっと、なんだよこのシャワーつめてえよはやく日本帰りてえよこんな宿やだよ、なんて感じる人もたくさんいるんだろうけど、どうしてか俺はこっちの方が人間らしいよな、と感じたり、自分が旧来野生の動物だった頃の誇りのようなものが突き上げてきて、こういう時はだいたい笑顔になっている。ただしその後に訪れたトイレタイムは違ったけれど。


濡れた髪の先が氷りやしないかとヒヤヒヤしながら、大急ぎで体を拭き、持ってきた全ての衣服を着込むと、フードをかぶって晩飯を喰いに戻った。食堂では小さな子供が二人、おばあちゃんに髪をお団子にしてもらっている。その様子を、スキーウェアに身を包んだ、きっとこの宿のオーナーであろう大柄な御仁が、インドのテレビ番組を観ているふりをしながら優しい眼で眺めていた。食事を頼んでから小一時間経った頃に運ばれてきた、野菜中心のダルバートをかき込みながら、ここには時間をゆっくり使える贅沢や、持っていないことの自由さ、タイムラインに追い回されることのない生活があるんだな、と言うと、シンバはふん、そんな風に感じるもんなんだな、と男らしく答えた。


食事を終え部屋に戻ると、することがもう何もない。靴擦れの対策はもう思いついていたので、朝になったら作ろうと用意だけ済ませ、靴下も履いたまま布団に潜り込んだ。日の出は6時30分ごろのはずだ。目覚ましを5時にセットして、眠りに落ちた。


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(↑夜明け前の部屋からの眺め)


部屋の窓からは谷を挟んで遠くヒマラヤ山脈がうっすらと見えている。窓のすぐ外にある大きな2本の木が、うすぼんやりと明るくなる空にシルエットになって浮かんでいる。シンバによるとこの木は幹が柔らかく、建材には適さないとのことだった。その2本の木は、正面にある木がやや高く、まっすぐ上へと伸びている。右側の少し背の低い木は、それでも精一杯太陽の光を吸収するべく、高い木の影をよける形で少し右へと曲がって成長していた。実際に触れ合ってはいないその2本の木が、お互いの存在で互いに影響されあっている様子を眺めていると、ああ、人の関係もきっとそういうことなんだろうなと思った。


太陽がいざ顔を出すその前には、いつも空が淡い乳白色に染まる。夜分には雨が降っていると勘違いするほど大きかったはずの、風に揺れる葉の音が、実はとても静かな夜にそう聴こえていただけだったと知る。カラスの一群が谷へ向けて飛び立つ頃、谷全体の生き物たちが自分と同じものを待ちわびていることに気づく。ある者はその興奮が抑えきれずに早めの歓声をあげている。遠くから昇る朝陽がヒマラヤの頂をまずは照らしだすと、ほどなくして夜と昼の境界線が水平になったころには、まるでライブの開演直前のような、野生の者達のオイコールがあちこちで巻き起こり、風に揺れる葉の音は、もはや意識を向けないと聴きとれないギターアンプのハムノイズのようだった。ちくしょう、Waiting For The Sunが聴きてえ。。iPodさえ忘れなきゃなぁ。


そうして、この世界のすべての生命の源である恒星・太陽が、名も知らぬ立ち木の向こうに現れた時、谷には祝祭のシンフォニーが響き渡った。知らなかった。彼らはこうして毎朝、自らの命を祝福しているのだ。その暖かな光を全身に浴びるとき、夜に生きるものはその一日の終わりを知り、厚い雲に覆われて陽の光を見ることができなかった日々の陰鬱ささえ、祝祭の盛り上がりの一部に変えているようだった。谷中の生き物たちがその命を声高く祝福するとき、少なくとも勘違いではないほどにははっきりと、自分もその一部であることを確信していた。


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(↑部屋を出て、ロッジの端から眺めた朝焼け)


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(↑朝焼けに照らされるヒマラヤ山脈)


朝食を終えると厨房からナイフを借り、昨日一日履いていた靴下の先に大きな穴を開けた。足を通しふくらはぎの下からくるぶしまでを覆うと、その上から新しい靴下を履く。次にトレッキングに出るときは、くるぶしソックスしか持ってこないなんて間違いはしないだろうな。やはり知識は経験と一体になっているべきだ。


トレッキング2日目、チサパニからナガルコットへの行程は約8時間、緩やかな下りを越えると、街や集落を通り、再び登りに入る。とはいえ初日のような高低差はないので、体力的にはずいぶんと楽だ。湿地帯を歩いた時に見た美しい池の姿は、この先もことあるごとに思い出すだろう。また時には小川と呼ぶにはあまりにも小さな流れを見つけては、都会にある人工的な自然も、最近はとてもよく出来ているんだな、なんてことを考えていた。まるで見た目は同じようだし、色も不自然じゃない。ただ決定的な違いは、この流れは誰が見ていなくとも悠久と流れ、たとえ人がここに道を作ることがなかったとしても、その変わらぬ美しさを、誰に誇るともなくただそこにあったということだ。


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(↑この日の道中)


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(↑それはそれは美しかった湿原と池。拡大すると中央に池が。ここにしばらく座ってました。)


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(↑酸っぱいけどリフレッシングな木の実)


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(↑ゴールは間近)


すっぺえ!と満面の笑顔で木の実を頬張るシンバとともに丘を抜け、大きな集落にたどり着いたところで、わかりきっていたことをあらためて聞いてみた。

「俺たちのペースってどんな感じなの?平均的にこれぐらい?」

「いや、俺たちは結構歩けてる方だと思うよ。時間も余裕だね」

「そうだよね。結構いいペースだから、時間あまりそうだなと思ってた」

「うん。夕暮れ前にはナガルコットにつけると思うよ。」

「そっか、じゃあさ、この村で俺にビール一杯付き合ってくれよ」

結局はこれが言いたかっただけなんだけど。:-)


地震の爪痕はそれこそそこらじゅうに見てとれる。弾ける笑顔で走り回る子供達の背後には、崩れたレンガが山積みになっている。人と自然。この国を今見ておきたいと思った直感を追ったのは正解だったみたいだ。今日の目的地であるナガルコットは、チサパニと比べるとずいぶん大きな集落で、高級リゾートホテルも続々と建設中だった。俺たちの宿も、2年前に地震で崩れたために、新築で立て直されたとても綺麗なホテルだった。前日のこともあり先にシャワーを浴びると、二日ぶりの熱いシャワーを浴びることができたが、なぜかちょっと物足りない気持ちになるのだった。


シンバと二人きりの夕食はこれが最後なので、食事後に少し二人で酒を飲んだ。暖房のない食堂で冷えたビールを飲むのはあんまり楽しいことじゃないのはわかっていたので、シンバおすすめのローカルリカーを頼んだ。穀物やハーブがどっさりと入った発酵した酒に、熱いお湯を注ぎ足しながら飲むトゥンバというお酒だ。シンバの目下の悩みはSNSに悪い評判を書き込まれて凹んでいることらしい。誰が書いたかもわかんねえコメントにいちいち付き合う必要はねえよ、俺の感想でしかねえけど、お前はいいガイドだよ、と言うと、本当か?それは本気で言ってくれてるのか?と言うので、日本人だって嘘ぐらい平気でつくけどよ、俺は今は嘘ついてないぜ、と言ってその夜の宴、つまりは、俺のはじめてのトレッキングに別れを告げた。(つづく)


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(↑靴擦れ対策)


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(↑宿に着いたとこ。バルコニーから)


さて、ここからは少し気分が悪い話かもしれない。それでも、この旅行記などを読んで自分も一人旅に出てみたいと考えてくれるような人のために、とても大切なことだと思うので書き残しておきます。


記事中のとても胸のすくような、美しい湿地帯の池に続く小径の入り口に辿り着いた時、そこには立ち塞がるように一人の男が立っていました。トレッキングの道中には軍の訓練場や、立ち入り許可証の発行所などがあり、トレッキングの行程に必要となる手続きに関わるオフィシャルな人たちはそれまでにもたくさん会っていたので、一目でその男がそういう類のものではないことは分かりました。日本でも酒場や街角で時折巻き込まれるのと同じあの空気を感じ取りはしたものの、現地のガイドであるシンバを見てその男はすっと横へ道を譲り、俺たちは何事もなくその小径を降りていくことができました。ただし、にこりともしないその男の脇を通る際、彼が背中側に回した方の手で隠していた大ぶりのマシェーテ(なた)を見ることができました。


旅はとても楽しいし、素晴らしい人たちに出会うことも多いけれど、世界中どこに行っても犯罪もあれば悪い人もいて、危険はどこにでもあるということは、決して忘れないようにしてください。俺はわりと無頓着にどこにでも突っ込んでいく質ではあるけれど、自らの身を無知ゆえに危険にさらすような真似をするほど馬鹿ではないとも思っています。笑顔で出された紅茶に入れられた睡眠薬で命を落とした旅人もいます。これは昏睡強盗が睡眠薬の量を間違えたケース。こういう旅をしていても、俺は実は一度もガードを下げたことはありません。鍵のかからない場所に置いた荷物を離れることも絶対になければ、打ち解けた相手と過ごす時でも財布やパスポートは別の小さなポーチに入れて体に巻いています。このマシェーテを持った男の正体は、いくら聞いてもシンバははっきりと答えませんでしたが、ネパールで急速に成長するツーリズムの中核である、年々増加するトレッカーを狙った山賊に命を奪われるケースも、ごくごく稀にではあるけれど発生しています。世界はそういう場所。もちろん日本も例外じゃなく。それでも世界を知りに出かけて行くことは、とても大切なことであるのと同時に、素晴らしい経験を与えてくれると思います。


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(↑分かれ道に置いてあった道標。俺たちはどこにだって行ける。)

POSTED Tuesday, February 14, 2017 05:25

ネパール旅行記③ - 2017/01/29

「もう2年近くもテントなのか。。」

トレッキングの出発点、スンダリジャルの街へと向かう車の中から、大きなテントがひしめき合う一画が見えていた。いくつかのテントに書かれた"US AID"の文字を眺めながら、想像などでは到底思い及ばないことは分かっていながらも、その生活はどういうものだろうと考えていた。2015年に発生したネパール地震により家屋を失った人々の「仮設住宅」であるテント群は、道中そこかしこに点在していた。


日本では、2011年の東日本大震災により現在も避難生活を余儀なくされている人たちが(昨年の時点で)約18万人おり、みなし仮設などを含む仮設住宅の入居戸数は6万戸を数える。災害公営住宅の建設は4割、宅地の引き渡しに関しては2割ほどが完了している。いつ訪れても暖かく迎えてくれるあの場所が、もう必要ではなくなったからと、最後の1戸が閉まる日はいつだろう。それはきっと1日でも早い方がいい。


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(↑塀の向こう側にテントがたくさんある。右の白いのを拡大するとUS AIDの文字が。)


午前6時50分。耳に心地いいカトゥマンドゥの喧騒に目をさますと、どうやら今日はとても天気が良さそうだ。寝ぼけた頭で熱めのシャワーを浴びながら、昨晩訪れたバーのなんとも気持ちのいい光景を思い出していた。4畳ぐらいの小さなステージではハコバンが最新のワールドチャートを演奏し、決して広いとは言えないフロアでは、人々が銘銘楽しそうに踊っている。窓際の席に腰を降ろしてウィスキーを注文すると、背中越しにその光景を眺めていた。お気に入りの曲が始まった途端に上がる歓声と、彼らの笑顔を見ていると、自分が知らずにどこかに置いてきてしまった、とても大切だった何かを思い出したような、そんな気持ちになった。どこか人懐こそうな雰囲気で踊る女性が、窓際に陣取って蚊帳の外のような顔をした連中の手を次々と引き、半ば強引に立ち上がらせ始めると、ステージの前はウェイターが通るのも難しいほどの混雑になった。やべえ、このままだと俺も踊ることになるな、まあそれもいいか。俺の滑稽な踊りを見られたところで、彼等の酒のアテが増えるだけだ。そう覚悟を決め、いざ俺の真後ろの男が連れて行かれた直後に演奏は終わり、バンドが終わりの挨拶を始めたので、ほっと胸をなでおろしつつ残りのウィスキーを流し込んだ。


ドライヤーがないのも慣れたらなんてことないな、なんて思いつつ荷物をまとめ、ホテルのストアレージに残していくもの(もちろんPCは置いていく)と持っていくものを分ける。昨日急遽調達した追加のアウターや1リットルの水筒をバックバックに押し込み、トレッキングシューズを履くと、ああ本当に山に行くんだなという実感が湧いた。日本から履いてきたランシューがどうやら長時間歩き続けるには小さすぎることに気付けたのも、昨日一日カトゥマンドゥを歩き回った大きな収穫だ。多めの朝食をとり、これから2日間二人っきりで過ごすことになるであろうトレッキングガイドをロビーで待っていると、ほどなく聡明そうな瞳をした、英語の堪能なシンバ(仮名)があらわれた。この人となら長い道中の会話も楽しそうだ。


車窓を流れるストゥーパやテント群にひときわ目を引かれているうちに、1時間ほどで標高1460mの街、スンダリジャルに到着した。カトゥマンドゥの中心地を離れるとやはり空はとても広く、青い。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、さあ、人生初トレッキングの始まりだ。


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(↑国定公園の入り口にあった看板)


初日は6時間ほどの行程。目的地のチサパニは標高2400mなので今日はその大部分が登りだ。神社の参道によくあるような石段を、数時間かけて延々と登っていくようなイメージ。ただもちろんそれだけじゃなくて、景色は刻々と変わり、林道のようなところもあれば一転して乾いた平地に出たり、とても小さな集落をいくつも通過したりする。以前から集落があった場所も含めて、自然保護などの観点から国定公園化されたため、彼等の住居は今では国定公園の中にあるのだ。シンバの話は予想通りとても含蓄があって面白く、それまで知らなかったたくさんのことを教えてくれた。例えば食べられる木の実のことや、消えゆくカースト文化が世代間で軋轢を生む構図など、知的好奇心が旺盛な人にはたまらないだろうな。木の実めっちゃうまい!


ある集落では学校のそばを通ったんだけど、その壁には"Education is the most powerful weapon which you can use to change the world(教育とは世界を変えるための最も有効な武器である)"の一文が書かれていた。その先には"Marriage can wait. Education cannot.(結婚は後回しにできるはずだ、教育はそうではない)"とある。年端のいかない少女が嫁がされていく現実があるのだろう。世界中で起きている問題だ。旅をしていると、人生をかけてそんな現実と闘う、素晴らしい人たちと出会うことがある。情熱と知性をもって、実際に世界を変えていく人たちだ。まるで生まれた時から何が正しいことかを理解しているような彼らを見ていると、この世界が素晴らしい場所であると、理解できそうな気がするときがある。そんなことをぼんやりと考えていたら、「結婚は後回しでもいいが、旅はそうはいかない、だよな?」と言ってシンバが白い歯を見せた。


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(↑延々と続く石段)


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(↑校舎の壁)


昼食を済ませ、さあ山登りを続けようと思っていたところ、

「違うよタケシ。山じゃない、ここは丘だ。ネパールでは標高が4000mを超えないと山とは呼ばないのさ。」

とシンバが言った。

「そうなんだ?はっはっは。じゃあこれはトレッキング、ってのは合ってる?」

「うん、これはトレッキングだよ。24時間以上の行程で、初日の出発地と宿泊地が違えばトレッキングさ。それ以外はハイキングって言うんだ。」

「そりゃ良かった笑。日本に帰ったらハイキングも行ってみたいよ」


ときおり山の木の実をほおばりながら、二人でトレッキングを続けていると、ふと突然視界が開け、目の前にヒマラヤ山脈のパノラマが広がった。この瞬間が、今回の旅のハイライトのひとつだったことは間違いない。そうか、俺はこれを見に歩いて来たんだな。この先の人生で、あと何回こういう瞬間に出会えるのかな。想像もしなかったような美しい景色はまだこの世界に腐るほどあって、どうしたってその全てを目にするの不可能だ。それでも初めてアンコールワットをこの目で見た時から、もっと旅に出ようという思いは強くなるばかりだ。木漏れ日のシャワーを浴びていると、どんなにCGが美しくなって、写真の解像度が上がったところで、自然と対峙する体験には到底及ばないっていう、ただそれだけの当たり前のことを、いやってほど思い知らされる。


ちょうどヒマラヤ山脈に背を向ける格好になった時、自分が歩いてきた丘の稜線がそれは美しいことに気付いた。思わず声が出た。俺は稜線になぜか昔から強く惹かれている。それはもうオブセッションと呼ぶ以外にない。でもなぜだか、稜線を眺めていると、人生の終わりを見つめているような、とても寂しくて、それでいて暖かいような気持ちになるのだ。決してツーリズムの名所なんかじゃないけど、俺にはその日一番の美しい景色だった。


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(↑集落のヤギたち。食肉用。)


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(↑後半でわりと平坦になった道中)


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(↑。。。)


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(↑丘の稜線)


だんだんと日が傾き、冷たくなった風にバックパックから取り出したアウターのジッパーを一番上まで上げた頃、チサパニの集落にたどり着いた。ここでも地震の爪痕は凄まじく、最初に目に飛び込んできたのは、レンガ積みの壁がすべて崩れ、柱と基礎だけが残ったロッジや、一階部分が崩れて大きく傾いたままの、かつてのホテルだった。シンバ曰く、国定公園の中ではとても細かい規制があり、今自分が歩いているこの道の左側には、新規の建設のみならず、既存の建造物に対する増改築も全く認められないそうだ。そのためここで山宿を営んでいた人たちの多くは、今はこの土地を追われ、半壊したままの建物もいずれすべて取り壊されることになるという。


少し靴擦れのした足でバックパックを部屋に放り込むと、食堂で待つシンバのところへ向かった。暖房のないこの宿でビールを頼んだのは間違いだったかなと思いながら、会話をするでもなくぼんやりと外を眺めると、一頭の牛が小道を登っていくのが見える。その背には夕日が輝き、一日の終わりをゆっくりと告げていた。(つづく)


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POSTED Sunday, February 5, 2017 12:11

ネパール旅行記② - 2017/01/28

息を飲む、とはこういうことを言うんだろう。しばらく呆然と立ち尽くした後、自分の心に現れたのは、この感覚はきっと写真には撮れないんだろうなぁ~っ!っていう、諦めにも似たとても愉快な感情だった。予想もしていなかった景色に突然出会うなんてことは、国内を旅していてもそれなりに起きることだが、それでも、車同士がすれ違えないほど狭いカトゥマンドゥの路地裏に突然ストゥーパ(仏塔)が現れた時は、まるでそれが何百年もずっとそこで自分を待ってくれていたかのような、何か清々しいものに包み込まれるような錯覚に陥った。


カトゥマンドゥの路地から見上げる空はとても狭く、日差しの強いネパールでも薄暗い。もし自分が前だけを見て歩いていたのなら、間違いなく見落としていただろう。ガイドブックにさえ載っていないそのストゥーパは、人々が日々祈りを捧げ、その生活に深く溶け込んだもので、決して観光客が訪れるような大仰なものではない。それでもその日の自分には、何か特別な意味があるように感じられた。


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(↑ふと右を見やると突然現れたストゥーパ)


さて今日は何をしようか、旅先の朝はいつもそこから始まる。ぐっすりと眠ったおかげでずいぶん頭はスッキリとしていた。思っていたよりずっと温かいシャワーを浴びている間も、タメル地区の朝の喧騒が耳に心地いい。ずいぶんと大きな笑い声が聞こえるが、彼らが何を話しているのかも、なぜそこに集まっているのかもわからない。濡れた髪で下着を替え荷物をまとめると、朝食を摂りに部屋を後にした。ネパールの食生活はブランチと夕食の1日2回だが、何が起こるかわからない今は、食べられる時にしっかり食べておこう。


幸いホテル(名前はゲストハウスだったけど、ここはどうやら普通にクラッシーなホテルだ)にはツアーデスクがあったので、翌日から2泊3日で行けるトレッキングコースを相談する。昨日ジョニーに聞いた通り、2泊3日だとチサパニ、ナガルコットをまわるコースが一般的だそうだ。もちろんそれがどんなところかなんて全くわからないんだけど。残りの宿泊は5泊あったけれど、何しろ初トレッキングだし、どこまで歩けるか予想が立たないのでまずはこの初心者コースを予約し、いざカトゥマンドゥの街歩きへ出発。前述のストゥーパには、その冒頭でいきなり出会ったのだ。


まずはどの街にもあるダルバール広場へ。カトゥマンドゥのダルバール広場は世界遺産だ。宿からほんの1kmほど歩くと、旧王宮のある旧市街、その中心にあるダルバール広場に出ることができる。ネパールに行ってみたいなあと思い始めたのは5年ほど前にさかのぼるが、当時写真で観たダルバール広場が今そこにはないことだけは知っていた。20154月に発生した大地震で、広場のほとんどの寺院が倒壊または半壊していると聞いていたからだ。広場で目にしたものは瓦礫の山と塔の台座、再建計画のお知らせや傾いた建造物を支える倒壊防止用の添え木。


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(↑ダルバール広場の入り口に積み上げられた瓦礫)


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(↑仏塔が立っていた台座)


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(↑再建計画)


ところで、ネパールにはクマリという、女神の化身がいる。彼女は僧侶カーストであるサキャの家柄に人として生まれ、その後クマリとして選ばれると、両親の元を離れ、クマリの館というダルバール広場の南に位置する邸宅に住み、人々の病気治療のための祈願や占いを執り行う。今後クマリ信仰が王政の廃止(2008年)に伴ってどう変化していくかは、予想が難しいとのことだった。クマリの館は中庭まで入ることができるが、その出口で売っていた彼女の葉書を一枚買った。これがこの旅で唯一、自分用に買ったお土産だ。


ひととおりダルバール広場を散策した後は、どこかランニングができるような場所はないものかと地図をひらく。見ると、カンティ・パト(「パト」は「通り」)の東に大きな草地があったので、よし、そこを確かめに行こうと歩き出した。かつて世界中のヒッピーが訪れて賑わっていたという通称フリーク・ストリートを通る際、安くてよりエキサイティングな宿を探して一軒の目星をつける。山歩きから帰ったらここに来るのも悪くないな、なんて考えながらいざ草地へたどり着くと、あら?あららら?そこにはよく見た光景が。あらー、ステージあるじゃん。フェス?フェス会場なのここ?


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(↑ほら!よく知ってる感じ!)


人でごった返す入り口をふらふらと吸い込まれるように入っていくと、ありゃー、こりゃあフェスだわ。まずは機材に興味津々。スピーカーがラインアレイだったので、おおー、しっかりしてんなぁ、まだバンドは始まんないみたいだな。。なんか挨拶みたいなのしてるしな。。それにしても広いし人めっちゃいるなあ。。なんかめっちゃみんな見てくるな。そういえば外人ぜんぜんいねえじゃん。ってか俺だけじゃん。すげースニーカー見てくるな。ZOOMシリーズ珍しいのかな。。それにしても出店いっぱい出てるなー。。昼飯がフェス飯になるとは思ってもみなかったぜ。こりゃあはずすわけにはいかねぇぞ。一回向こうまでぐるっと見てから決めよう。。あー綿菓子売ってますねー。でもこの気温で溶けない綿菓子だから多分俺が知ってるのとは違うんだろうな。。ほい、最後まで見ましたよ、っと。っておい!振り返るとヒマラヤ見えてんじゃん!!初ヒマラヤ!きたーー!!よし、飯はここにしよう!えーと、モモ?だっけ、あのモモ?ください。はい?あ、じゃあえーと、フライドモモで。あとビールも。うぇっへっへ、昼ビール贅沢なあー。。なんて着席とあいなったわけです。


初めてのモモをのんびりと味わい、大瓶が空になっても演奏は始まらない。んーと、あの、これってなんのフェスなんですか?ああ!民族独自の新年を祝うお祭りなんですか!へー!125民族もいるの!?そっかあー!どうりで!


そうして宿へ戻ると、まだ日没までは2時間ほどあった。ならばいざ、スワヤンブナート、通称モンキー・テンプルへ行ってみよう。地図上では3kmほどだ。川を渡り丘を登ると、そこはカトゥマンドゥ盆地がまだ湖だった頃からそこにあったと言われる世界遺産、スワヤンブナート寺院だ。ひときわ大きなストゥーパを中心に、寺院や巡礼者の宿泊所などが立ち並ぶその光景は、まさに思い描いていたネパールそのものだった。


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(↑丘の上に見えてきたスワヤンブナート)


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(↑ブッダアイ。いつ見ても惹き込まれる。)


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(↑。。。)


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(↑カトゥマンドゥを一望する)


カトゥマンドゥの街を一望できるその丘からしばらく、この旅や自分の人生、果たしてこれからどこへ行こうかとひとしきり思いを馳せたのち、さて暗くなる前にタメルに戻ろうと歩き出すと。。


「エメリヒ(仮)!エメリヒ(仮)じゃないか!」

「おー!タケシ!」

そこにいたのは昨日屋上のカフェで出会ったドイツ人、エメリヒ(仮)だった。欧米人になかなか覚えてもらうことのできない自分の名前を、一度話したきりで正確に覚えていたエメリヒ(仮)に少し驚きながらも、再会の喜びに浸る。まさか、ネパールの寺院で知り合いに会うとはね。

「偶然だね。どうしてた?あ、新しいジャケット買えたんだ。いいじゃん似合ってるよ」

「そうなんだよ。ありがと。そういえばすごいいい宿を見つけたんだ。モンキーモンキー(仮:全然違います)っていうとこ。今そこで出会ったみんなと来てるんだけど、タケシも一緒に来ないか?」

「ははは。いいよ。俺一人の方がいいんだ」

「はっはっは。それもわかるよ。じゃあまたね」

「うん。またね」


と言った会話の終わりに、モンキーモンキー(仮)からの数名が合流して、軽く挨拶を交わした。その時の雰囲気がとても心地よかったので、トレッキング以降の宿の候補がまた一つ増えた。丘を降(くだ)り、さっき渡った橋を逆方向に渡る。陽が傾き、街が少しずつ茜色に染まっていく。子供達が元気に走り回り、砂埃の舞う風に顔が乾く。孤独な心はなぜか突然満たされ、全く何のまえぶれもなく、ふと涙がこぼれそうになった。この時の感情を正確に表す言葉や表現を俺はまだ知らない。一番近いものは何だろうかとしばらく考えたが、きっと最も近いものは「感謝」だろうと思った。(つづく)


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(↑道すがら見えていたヒマラヤ山脈)

POSTED Saturday, February 4, 2017 15:43

ネパール旅行記① - 2017/01/27

一体誰がインターネットなんて作ったんだ。。携帯だってそうだ。どっちもなければ、今こうやってバンコク、スワンナプーム国際空港まで日本での仕事が追いかけてくる事なんてなかったはずだ。そんなことを思いながら、トランジットポイントのタイでかれこれ5時間、ラップトップと向き合ってる。TCP/IPの開発者たちにはどこまでの未来が見えていたのだろう。今では世界の人口の7人に1人がFacebookを使い、彼らのメモリーバンクには日に数千台のサーバーが追加されている。冒頭からいきなり話は脱線するけれど、18世紀に蒸気機関を発明したエンジニアたちの胸には、歩ける距離を超えて人々が交流する豊かな未来への憧憬のみが思い浮かんでいたに違いない。夢と希望に溢れ、新たな発明や技術を追い求めた結果、産業革命からわずか2世紀で、自身の発明により地球の気候が大きく変動することなど、露とも思わなかったに違いない。


そんな安っぽい愚痴めいた発想で目の前にある仕事を罵りながらも、向こう一週間の自由を手に入れるためには、スワンナプーム初カトゥマンドゥ行きの国際便に搭乗する前に、今ペンディングになっている全ての要件に対して結論を出す必要があることは痛いほどわかっていた。数ギガバイトの資料をダウンロードする間、パイプ椅子に体を横たえていると、首筋に何かもぞもぞと動くものがある。気のせいかと一回は無視してみたが、どうやら本当に何かいるらしい。右手の指で掴んでみると、2cmほどの大きさのゴキブリ。よう、はじめてタイに来た時も会ったな、と思いつつポイと通路に放り、搭乗案内を待った。


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EMIの担当とのやりとりは果たして機内でも続き、ドアが閉まって全ての電子機器の電源を切るようアナウンスがされる頃(タイ航空では離着陸時、電波を発信しない電子機器でも使用が禁じられている)、「これでもう本当に全部終わり?」「はい、ネパール楽しんできてくださいね」というLINEのやりとりをもってして、俺の最も新しい一人旅が始まった。


事前に購入したのは航空券と地球の歩き方ネパール編、一週間洗濯せずに履き続けられるトラウザーと、気候に合わせて重ね着ができそうなアウター、そしてトレッキング用に新調したバックパックだ。機内で初日の宿に軽く目星をつけると、1時間ほど眠りに落ちた。機内食(朝食)のアナウンスで目覚めると、窓の外には見たこともない景色が広がっている。はっはっは!これは知らねえぞ!エジプト旅行記さえ完結していないのに、今回の旅は文字にしてみようと思った瞬間だった。


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(↑おそらくバングラデシュ南沖を飛行中の写真。カトゥマンドゥ着陸時は写真撮れないので。)


1月のネパールは乾季だが冬で気温が低く、ツーリズム的にはオフシーズン。そんなことさえ知らずに飛行機に乗ったもんだから、当然街のイメージなんて何もない。なんとなく、農村めいた、のどかで、のんびりとした街を想像していた。街の中心にはストゥーパ(仏塔)があって、5色の旗がひらめいているのだろう。人々は軒先で美しい空と空気に包まれ、笑顔があふれているのだろう。そして、この街を離れる頃には、自分は今までより少しだけ、優しくなれているのだろう。そんな俺の勝手な予想は全くの思い違いだったと、国際線の到着ロビーを出た瞬間に思い知らされる。東京の堅苦しい空気をまとい、ガイドブックを片手にタクシーを探す通貨的優位に立った国からの旅行者を、自分のタクシーに乗せるべく壮絶な争奪戦が繰り広げられるその光景は、エジプト、ルクソールのバス停にも引けを取らない。


「コニチワ!日本人か?タクシー乗るんだろ?」

恰幅のいい御仁に詰め寄られたが、ここはなるべくこっちのペースで事を運びたい。

「まあね。でもとりあえず水が買いたいからいいよ。ほっといて」

そう言って歩き進めるも、このテンションでやり過ごすのは100mほどが限界だった。どうしたって到着日は浮ついた空気をまとっているので、彼らには格好のカモだ。どれが正規のタクシーなんだか皆目見当がつかないなか、売店の場所を教えてやるという大柄なおっちゃんが現れた。

「いいよ。自分で探せるから」

「(無視)こっちだ。ほら、あそこに売ってるぞ。(売店まで連れ立って歩いて)こいつに水を売ってやってくれ。ほら、100ルピーだ」

「ああ、ありがと。じゃあね」

「(無視)(いつの間にか横にいた男を指して)ほら、こいつがお前のタクシーだ。いいよな?」

「ああん?だからいらねーっつってんじゃん」

と紹介された男(ジョニー:仮名)の顔を見るとまあ、人の良さそうな優しい顔をしているので、ふぅ、まあいいか。どっちにしろタクシーには乗るんだから、と思い「はー。おっけー。タメル地区までいくら?」と聞くと、400ルピーでいいとのこと。なんだ、ずいぶん安いじゃないか。ほんじゃ、決まりね、と握手をして二人で歩き出し、ほどなく駐車場にさあ、到着というところでジョニーが口を開いた。

「バイクだけど、いいよね?」


こうして当然のように彼の「友達」が経営しているというホテルに到着。屋上階がカフェテラスになっていて、見晴らしも悪くない。何はともあれ腰を下ろしてビールを頼むと、「せっかく連れてきてもらって悪いんだけど、ここに泊まる気はないよ。少なくとも目星をつけたホテルを見てからでないと」と伝えると、彼も「もちろんもちろん」と了承してくれた。周りを見渡すと、身長190cmはありそうな、大柄なドイツ人エメリヒ(仮名:めっちゃ適当です)が寒そうにブランケットにくるまり、ネパールティーをすすっている。特に急ぐ旅でもないので、エメリヒと何気ない会話をしていたのだが、この男がまた本当に人懐っこい笑顔で笑うのだ。

エ「俺も今日着いたんだけど、空港で上着をなくしちゃってさ、なんか買わないとだよ笑」

俺「そりゃ災難だったね。夜はもっと冷えそうだよね」

エ「君はここに泊まるの?」

俺「いいや。多分そうはならないな」

エ「俺もそうだよ。ここはちょっと高すぎるからね。節約しないといけないんだ」

から始まり、普段自分の住んでる世界や音楽の話など、賢さを感じさせるエメリヒの話ぶりにしばらく話し込んだものの、やはり宿が決まっていない心地悪さもあったので、別れを切り出した。

「楽しかったよ。それじゃ」

「もしよかったら、連絡先を教えてくれないか?Facebookはやってるんだろ?」

「ははは。それがやってないんだ。Emailのアドレスを書いて渡すよ」

そう言ってナプキンにアドレスを書いて渡すと、

「ふーむ。俺はEmailってやったことないなぁ」

「世代の違いかもね笑 まあ、縁があったらまた会うよ。東京に来ることがあったら連絡してみて。それじゃ」

そう言って宿を後にする。


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(↑カトゥマンドゥのタメル地区。旅行者や行商など、いつも賑わっている。)


目星をつけていたゲストハウスに行く途中にもう一軒、ジョニーのおすすめの宿があるというので、まずはそこを見に行くと、ネワール様式の美しい、歴史を感じさせる素晴らしいホテルに連れて行ってくれた。内装も申し分なく、レセプションの対応も心地いい。ただ、俺はきれいなホテルでゆったりと過ごすためにネパールに来たわけじゃないし(値段もUS60$と結構高い)、どうしても最初に気になったゲストハウスが見たかったので、まあここもいいんだけどねー、と言ってそのホテルを後にする。こんなところで気をつかっててもしょうがないので、

「ねえ、今のホテルに俺が泊まったらジョニーにはいくら入るの?」

と聞いてみた。

「え、いや、っていうか入んないよ。うん。入るケースもあるんだけどね、ハハ、今のは違うよ。」

「そうなんだ?いや、それが悪いとか嫌だって言ってるんじゃないから勘違いしないでね、当然のことだし。ただどういう仕組みなんだろって思っただけ」

なんて話をしながら、お目当てのゲストハウスに到着。ここもUS$50と高いんだけど、数々のエベレスト登頂チームや高名な冒険家の足跡を感じることができる場所だったので、一泊目はここで、と一晩の宿を取ることにした。ジョニーの目には明らかに落胆の色があったので、約束のタクシー代を多めに払い、部屋にバックパックを放り込んだ。(つづく)


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(↑その後ふらりと晩飯を食いに入ったレストラン。食事中に停電になり、ロウソクが運ばれてきました。背後では電線がショートし、大きな音を立てて火花が地面に降るなか、それを見てレストラン中の人がワッハッハ!と笑っている。ああ、旅がはじまったんだなあと思いながら、美味しいダルバートをいただきました。)

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*1日目からこんな長くてまた今回も最終日まで書ききれずに終わるんじゃないかと、自分でも思っているけれど(笑)、今は書いてるのが楽しいので、楽しいうちは書いてみます。暇つぶしにどうぞ~。:-)