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November 2010 ARCHIVE

POSTED Tuesday, November 30, 2010 18:42

エジプト旅行記⑦ 10月28日後編〜10月29日前編

アスワンの空港に着いたのは日付が変わって29日、午前0時を回った頃だった。東京を出発するときには考えてもいなかったエジプト航空の国内線に乗り、機中では後ろの座席の天使のような子供にずっと頭をいじられながら、いよいよエジプト旅行はカイロ以外の街へとそのルートを伸ばしはじめていた。

真夜中のアスワン空港では、"Takeshi"と書かれたカードボードを手にした男性が待っていて、宿で仮眠を取った後、アブシンベル神殿行きのバス停まで案内してくれるということだった。どうやらソニーはこういった人間関係を国中の観光地に築いており、この男性にソニーは友達なのかと聞いてみると、実際に会った事は一度もないということだった。

夜道をかっとばす車中がやけに明るいのはルームライトがつきっぱなしだからだが、その理由は尋ねるまでもなく、この車のヘッドライトが切れているからだ。カイロの街で歩行者をどかすためにクラクションではなくパッシングをしている車を見かけたら、その車はまず間違いなくホーンが壊れている。最初そういう車を見かけたときには、ああ、ずいぶん紳士的な人もいるもんだ、なんて思っていた。「人は目に見える事実ではなく、そこに自分の見たい物を見る。」まるでアルケミストの酒場のシーンと一緒だな、なんて考えているうちに、アスワンハイダムを横目に車は市街地へと入り、決して大ぶりではないが小綺麗なホテルの前で停車した。

エジプトに来て初の一人部屋は2時間ほどの仮眠だけで終わり、これなら別に道ばたでも良かったけどなあなんて思いながら、バス停に到着したのが午前3時半。武装した警察車両に前後を挟まれ、コンボイ状の車列でアブシンベル神殿を目指すのだが、ルクソールの襲撃事件やハルガダでの爆弾テロ以降、いかにエジプト政府が観光産業を守る事に心血を注いでいるのかが伺えた(そのために多くの弊害も起きている)。バスにはさまざまなツアー客やバックパッカーがすし詰めで詰め込まれ、3時間強の間、補助席で揺られたのはケツには意外ときつかったけど、ここには集団行動の要素は全くなかったから居心地はそれほど悪くなかった。


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コンボイを構成する車両が続々と集結する。俺が乗ったのは画面右、手前のバス。

(にも関わらず、なんだか少しやさぐれはじめてるぞ。一人でいるのは自ら望んだ事なのに、なんでツンツンしてんだっつうの。どうせ溶け込めないなら、先に自分から閉じてしまえってか、この臆病者め!)

なんて思考で何度目かの砂漠の朝を迎え、午前7時を若干過ぎた頃、歩き方の遺跡BEST1位だったアブシンベル神殿に到着しました。イェーイ!

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コンボイとは言え、車間はけっこう開き、、ってかさすがに離されすぎじゃないッスか??

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アブシンベル大神殿。空すごいきれい!

ラムセス2世とネフェルタリの間にあった絆は、きっとどんなものより強かったに違いない。数千年の時を経て遺された遺跡からは、今もはっきりとその温もりを感じることができた。ため息が出るほど荘厳な建築も、壁画も、そのことほどには心を動かさなかった。

アブシンベル神殿の巨大立柱を眺めていると、ふと日本人観光客二人組に声をかけられる。そう言えばロンドンのナショナルミュージアムでもこんなことあったっけ。なんだかツアー先で誰かに話しかけられたような、そういう良く知った空気に癒されながら、時間めいっぱい遺跡を駆け回り、9時出発のバスにギリギリ間に合うように駐車場に戻ると、運転手が自分の他にもまだ数人の帰りを待っていた。目の前に広がる巨大な美しいダム湖を眺めているうちに、もっと広い心が欲しいなあと思った。広い心ってそもそもどういうものなのかさえ分かんないけど、どうしてか、なんでもかんでもいいよいいよーって言うだけとは違う気がする。


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アスワンハイダムの建設で生まれたダム湖。美しいが、その影響でこの地域に雲が出来るようになり、気候全体が変わりつつある。いい変化になるといいなあ。

帰りも補助席に座ろう。そうじゃないと誰かがあのケツの痛みに苦しむことになるからな。ほんの少しのそういう気持ちと、お前俺の席取りやがったな、なんて数時間思われ続けたら面倒くせえという大部分の気持ちのせいで、外でぼけーっと補助席以外の席が埋まるのを待ってからバスに乗り込むと、席順はすでに来た時と全く変わっていることに気がついた。ま、そんなもんでしょ、と思いながら補助席を出していると、車両右の窓側、一人がけの席に座ったおじさんが、左側の奥さんらしき人の隣の空席に移動して、親切にも声をかけてくれた。

白人男性「(さっきまで彼が座っていた席を指して)ここ座んなよ。ほら。」
「あ、いや、いいんすよ。俺ちっちゃいから補助席ぴったりだし。」
白人男性「いやいや、空いとるんじゃから。補助席から埋まったら後の人も乗りずらかろう。」
「うーん。。ま、そう言うなら。」

と、窓側に座ったのだが、最後に乗り込んで来たアメリカ人カップルが二人とも補助席に、縦に並んで座る事になったあげく、元々彼らの座っていた席に座っている乗客にやんわりと文句を言い始めたので、席の交換を申し出た。

「換わるよ。俺もともとそこだから。」
アメリカ人女性「いいの。大丈夫。」
アメリカ人男性「換わってもらえばいいじゃないか。君は体調が悪いんだから。」
「うん。ほんとに。全く気にしないで。」
アメリカ人女性「いいの。ほんとに大丈夫。」

しばらく説得しても頑に席を換わろうとしない女性の方は諦めて、旦那にあんたこっちくればいいじゃん、と言うも、まあ彼女が大丈夫だって言うんだから、とバスはそのまま発車した。道中、女性はなんとか眠れているようで、暇そうにしていたアメリカ人の旦那ジョンとしばらく会話をしたあげく、俺は彼のiPodに入ったエジプト古代文明の解説を聞きながら、彼は俺のアルケミストを読みながら、一路アスワンの街へと戻った。てきとーにバスを降りて迷子になっている俺を見て、ジョンが一緒に探してあげようか?と言ってきたのだが、体調の悪い彼女を気遣うところを見るとこれは彼一流のお別れなんだろうなとすぐに分かった。

「自分の道ぐらい見つけられるよ。ありがとう。」
「そうか。がんばってな。」
ニコリと笑って去って行くジョンを見て、京都でぶぶ漬けを薦められたときもおんなじことが出来るかなあ、と思うのだった。

アスワンのスーク(商店街のようなもの)でひとり昼食をすませると、ルクソール行きの電車まではまだ一時間ほど残されていた。偶然にも神殿で出会った日本人二人組とスーク内で再会し、3人でシーシャを吸ったのは、この旅の中でもとりわけ素敵な思い出の一つだ。;-)


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ピンぼけだけど、お昼ご飯。店内のテレビではずーっとモスクの生中継。

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アスワンのスーク。

そう言えば一つ、やり残したことがあった。カイロを出たときの計画通りに行けば、残りの日程はルクソールの遺跡群観光に費やし、夜行列車でカイロに戻ることになるのだが、一等寝台、個室の夜行列車に興味が持てないことに加え、どうしても、ここまで来たならどうしても、紅海で泳ぎたい、なんて思いが強くなってしまったので、アスワンのガイドから受け取る手はずになっていたルクソール〜カイロ間の列車チケットを、払い戻す必要があった。

例の宿の男性に駅まで同行してもらい、払い戻しの手続きを済ませると、彼の手元には40USドルと言うちょっとした大金が手に入った。それは俺の払い戻し金なのになあと思う俺を尻目に、彼は紙幣を握りしめたままソニーに電話をかけた。アラビア語での会話だが、なぜかこういう会話は分かるもので、たぶんほとんど間違ってはいないだろう。

宿の男性「40ドルあるけど、こいつにいくら渡せばいい?」
ソニー「40ドルだ。」
宿の男性「何言ってるんだよ?こいつは日本人だぜ?馬鹿らしい!」
ソニー「いいから黙って全額をタケシに渡すんだ。」
宿の男性「じゃあ、20ドルでどうだ?」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「30ドル!」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「35。」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「・・・・。」

しぶしぶ40ドルを差し出すその手からパッと現金を受け取ると、一日ありがとうと礼を言ってチップを渡し、すでに到着していた列車に乗り込んだ。ソニーってやるなあ。でもって、こいつは信用出来そうだと思った俺の勘も、たまには当たるもんだと思った。(続く)



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アブシンベル神殿の横にある、ネフェルタリのアブシンベル小神殿。

両者ともユネスコにより、水没をまぬがれた。

POSTED Tuesday, November 23, 2010 23:29

エジプト旅行記⑥ 10月28日 前編

朝6時に目覚めると、空が真っ白になっていた。夜空を覆い尽くしていた無数の星たちはとうにその姿を隠し、昼まで寝過ごしてしまったんじゃないかと思えるほどだったが、しかし不思議な純白の空を360度見回してみても、まだどこにも太陽は見えなかった。

すげえなー。太陽出てなくてもこんなに明るいんだ、なんて思いながらモソモソと寝袋から出て、シュラフの上にかけてあった毛布を今度は体に巻き付けて、ぼんやりと赤く染まり始めた地平線を、ふたたび独り占め出来るところまで歩いて行くと、その寒さに歯がかたかたと鳴った。

腰をおろした石灰岩があまりにも冷たかったので、毛布の端を尻の下に敷き、どんどんと赤くなっていくその中心をしばらくじっと見つめていると、全ての静寂を切り裂くようにして、それはそれは暖かい光が差し込んだ。

その瞬間、ああ、全ての生命が歓喜するんだろうなこれは、と数万年待ち焦がれたような気分になった。太陽が出ている。嬉しい。暖かい。物体に感じる想いじゃないなあこれ。間違いなく、星は生きている。


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この来光を見たとき、心が突然迷子になってしまった。その後数日間、一体俺はこの人生で何をやっていくんだろう、と考え続けることになる。

背後では起きだした旅人たちがドライバーの入れた紅茶をすすっていた。もう目を逸らしてもいいかと思えるまでその場で来光を眺めた後、再び彼らに加わった。


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チキン・マッシュルームと呼ばれる奇岩。もともと海底だったサハラに石灰岩が堆積し、長い年月をかけ風で削られて、この姿になった。

その後は、来た道を逆へ辿ってカイロへ戻る。バハリヤでベルギー人2人組と別れ、ミスターアフメッドにお礼を言い、再びオアシスのバス停からカイロ行きのバスに乗る。隣にはパキスタン人3人組の旦那、アミンが座った。

「やあ、これ来た時のバスより全然いいバスだよ!快適だなあ!」
アミン「僕たちが乗って来たバスはこれよりもっと綺麗だったよ(笑)。」


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バスの中から見えるバハリアの街。

ときおり少し疲れたような顔を見せるアミンと、砂漠や、アフリカのこと、中近東やアジアについて、そして貧しい国のことをずいぶんと語り合った。恵まれている側にいてさえはっきりと感じられるが、この世界はずいぶんと不公平だ。砂漠からオアシスへ戻る途中にあった検問の警備兵が、俺たちのジープの無口なドライバーに金をたかっていたのを思い出した。クンは、あの警備兵の月給はだいたい40ポンド(760円)ぐらいだろうと言っていた。

砂漠を走る事数時間、行きに降りるのを躊躇したサービスエリアに再びバスが立ち寄ったとき、最初に感じた不安なんてもうなんでもなくなっている自分に気がついた。日本人パッカーを珍しそうに眺めてくるムスリムの視線も気にならなくなった。気にならなくなったせいか、視線はもうそれほど飛んでこなくなった。

込み合った売店に立ち寄ると、ナッツをキャラメルで固めた菓子が目に入った。うわー美味そうだなこれ!
「これいくら?」
店員「1ポンド。」
1ポンド硬貨と1ポンド札を共に切らしていたので、嫌な予感はしつつも5ポンド紙幣を手渡す。
「お釣りある?4ポンド。」
店員「ない。」
ないわけないだろー(笑)。でもまあ先に5ポンド紙幣を渡した俺が阿呆なのだ。ないと言い切ったきり5ポンド紙幣を返すそぶりもなく、ごった返したカウンターに群がる(エジプトでは列は滅多にできない)次の客の相手をしようとしている店員に、
「じゃあ残り4ポンド分は、他のお菓子を持って行くよ。それはいいよね?」
と尋ねると、あろうことかその返事はたった一言
店員「だめだ。」
だった。

カッッチーーン。いや、確かに世界は不公平だろうぜ。そして4ポンドを俺からむしり取るのは別に難しい事でもなんでもないさ。だって俺もともと限界まで値切ろうなんて考えてないもん。だけどな、今の話は、数学的にも、論理的にも、全くおかしいだろ!ジャンとパピルス屋のような、なんかこう、あんだろうそういうのがああ!!

「なんだとこの野郎!?NOっつったか!?」
こんのやろー返答次第じゃただじゃおかねえからな!するとようやく表情が浮かんだ店員が
店員「あ、いや。YES。」
と許可してくれたので、肩を震わせながらずんずんとお菓子コーナーに戻り、行きに食べて美味しかったウェハース(ちゃっかり)その他のお菓子をわしづかみにして、奴の顔にぐいっと差し出した。
「これとこれ持って帰るからな!」
と言い捨てると、しぶしぶコクリと頷く奴を背に、お菓子ウォーズは終結した。フー。そうだった。エジプトってこうだったこうだった。

そんなこともあったせいで、ギザ駅まで行くはずのバスが、渋滞がひどいからもうこれ以上走りたくないという至極真っ当な理由で、ギザよりずいぶん手前の人でごった返したバス停で停まったときには、もう特に驚きもしなかった。
「えー、てかどうしたらいいんだよ?」
運転手「知らん!メトロで行け!メトロじゃ!」
と前方を指差していたので
「あっちに行けばメトロあるの?」
運転手「メトロじゃ!」
何を聞いても「メトロじゃ!」しか言わん運転手にこれ以上聞いても無駄だと確信し、アミンと奥さん、その友人に丁寧に別れを告げ、すたすたと一人で歩き出すと、あ、一人旅再開だ、と気付くのだった。

駅を見つけるのに多少手間取ったものの、メトロ自体はもう乗り方分かってるもんね、なんつって難なくサッダート方面行きの電車に乗ると、砂漠から帰って来て砂だらけ、風呂も入ってない日本人は、その車両でもとびきり汚かった。申し訳ないなあと思い、ドアにもたれかかって小さくなっていると、つり革に捕まった乗客が今までの人生では見たことのない表情で俺を見つめていることに気付いた。うん?なんだろうと見回すと、2本の線路を隔てた反対側のホームから、お母さんに手を引かれた女の子が一生懸命俺に手を振っている。エジプトでは、子供たちは旅行者が大好き。どこで見かけても必ずとびきりの笑顔で手を振ってくれるのだ。

発車する電車の中では、小汚い日本人パッカーが、なにかに救われたかのような笑顔でその女の子に精一杯手を振り返していた。

エジプトの電車には、降りる人が先、などと言うルールはない。自分の降車駅が近づくと、降りたい人たち(降りる人、ではない。降りたい人、だ。)がドアの後ろに集合して、今から始まる押し合いに備える。そのとき芽生える奇妙な連帯感や、やあ、この人は押しが強そうだから大丈夫だなとか、そんな感覚も普通だ。果たして降りたい連合の圧勝で無事サッダート駅に降り立ったあとは、今度は迷う事もなく宿に戻ることができた。笑顔で迎えるウィリーの顔を見ると、砂漠の旅に出かけたのがもう随分と昔のことのように感じる。シャワーを浴びて航空券と列車のチケットを受け取ると、アスワン行きの飛行機まではまだしばらく時間があったので、夕食は一人でコシャリを食べに出かけることにした。

初日に行ったコシャリ屋は割とすぐに見つかった。とにかく腹ぺこだったので、「でっかいのください」と言うと、自分の胃袋の倍はありそうなコシャリがやって来たのだが、その時思ったのは「全然足りないよ!」だ。

エジプト人のおじいさんと相席で、恥ずかしいぐらいコシャリにがっついていると、テーブルの上に調味用のお酢と真っ赤な辛いソースが乗っていることに気付いた。お酢を少し足してみる。うん、うまい!からいソースはとても辛いので気をつけろ、って歩き方に書いてあったな。ちょっとだけかけてみようっと。えーっと、そーっと、そーっと、そーっと、

どばっ

無表情だが優しいオーラを発している相席のおじいさんの顔に、ほんの一瞬ではあったが、

おわっ

と言う表情が浮かんだのを見逃しはしなかった。店の反対側のテーブルで屈強そうなアラブ系の男性が、細やかな所作でそのソースを

ちろっ

とかけているのを見て、これは長い闘いになりそうだと、ペプシを買いに席を立った。えーと、大盛りを頼んでおいて残すのだけは絶対に嫌だし。しかも俺は食事の前にお百姓さんのことを思って手を合わす日本人だ。ガシャガシャとソースをかき混ぜると、何故か「俺すっげえ辛いの好きなんすよおおお!」的オーラを出しながら激辛コシャリをかき込んだ。

ぶふっ

鼻からコシャリ出そうになったじゃねえかよおおお!かっれええええええええええええええええ!!!!!くない!かっれえええええ!くないっすよ!あっはっは!うまい!かっれえええ!くない!

キリキリと痛む胃のSOSは無視して猛スピードで激辛コシャリをかき込み、一人SMショウをおじいさんに披露して残りあと数口となったとき、レジの若者がジェスチャーで

(お前!汗すごいぞ!!だいじょうぶか!)
(うん?ああ、大丈夫だよ!!)
(そうか!まあナプキン使え!)

と紙ナプキンを手渡してくれたのだが、その時紙ナプキンで拭かれたものが果たして汗だったのか涙だったのかは、今となっては自分でも思い出せない(泣)。(続く)


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7人を乗せて砂漠を走ったジープ。奥に見えるのはフランス人夫妻のサポートカー。

ドライバー同士はお互い協力し合う顔見知り。

POSTED Saturday, November 20, 2010 02:40

デビロックナイト。

ほいー!昨日はゼップ東京でデビロックナイトに出演してきました!来てくれたみんなありがとう!めっちゃ楽しかったね!!:-)

ライブ中に具合が悪くなってしまった人も、その後全く大丈夫だったので、心配しないでね!

みなさん、お疲れさまでした!!

POSTED Thursday, November 18, 2010 19:32

エジプト旅行記⑤ 10月27日 後編

バハリアオアシスからキャンプ予定地の白砂漠までは、黒砂漠とクリスタルマウンテンを経由して約3時間。ベルギー人男性2人組と、パキスタン人夫妻とその友人の3人組、さらに一人旅中の日本人に、エジプト人ドライバーを加えた7人を乗せ、白いジープはバンピーな悪路を猛スピードで駆け抜けていく。

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黒砂漠、といっても砂が黒いわけではなく、火山岩が大量に散らばっているために黒く見える。

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サソリが出るから気をつけろ、の一言でテンションはMAXに。見たい!(見れなかったです。)

どなく黒砂漠を走り抜け、文字通り水晶でできた山、クリスタルマウンテンを越える頃には、旅行者6人の間には微妙な距離感の、なおかつそれなりな連帯感が生まれていた。決してシニカルではないが独特の雰囲気を持ったベルギー人2人と、女性2人が掴まる柱をつとめている旦那、そこに決して社交性の高くない俺が加わったところで、これ以上パーティーの距離が縮まるようには思えなかったが、それでも、油断してると舌を噛み切りそうなほど揺れる車室では、冗談まじりの会話がそこそこの盛り上がりを見せていた。


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クリスタルマウンテンに腰掛けていると、別グループのアメリカ人女性から「写真撮ってあげようか?」と言われたのでカメラを渡すと、すごい離れたところまで戻ってこの写真を撮ってくれました。ありがとう!



あたりの景色が明らかにそれまでとは変わり、ところどころに乳白色の石灰岩が顔をのぞかせ始めた頃、砂漠の夕焼けショーも終わりを告げ、夜がやってくる。西の空がだんだんと朱色を弱めていく間、東の空ではゆっくりと闇のカーテンが立ち上がっていくのが見えた。この時に見た、昼と夜の間に広がっていた紺色のベルトはとても幻想的で、思い出すと今もなんとも言えない気持ちになるが、他の5人は特に気付いた様子もなく、みんな若干疲れてそうだった。おぅい!盛り上がって行こうぜい!などと言うとみんな不機嫌になりそうな予感がしたのでやめた。


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砂漠に沈む夕陽。帰国まで何度見ても飽きなかった。

と、ドライバーが唐突に車を停め、無言で降りて何やらやり始めた。彼がこうして車を降りたのは1時間ほど前にも一回あったけど、その時はリアハッチのドアがちゃんと閉まってるか確認しただけだった。今度のは長い。なんだろう?何やってるんだ?

おわ、フラットタイヤ(パンク)だ。

リアハッチを開けて全員が車を降りると、辺りは奇岩だらけの白砂漠。空にはすでにミルキーウェイがかかっている。
「すっっげええええええ!」

とか声がでたけど、まずはパンクしたタイヤの交換が先。クリップ型のブックライトでドライバーの手元を照らす(持って来てよかった!)。ジャッキと工具を取り出して、ルーフに乗せたスペアタイヤを降ろして、さあ、ちゃっちゃっとやっちまおうぜ!

しかし気付いてはいたが、このドライバーさんはほんと無口。てか多分英語が喋れないんだろうけど、それでもまるでこの車に一人で乗ってここまで来て、パンクしてしまったかのような、たとえば俺たち6人はゴーストのように透明で、物体には触れることができないとでも思っているかのような作業っぷりだ。客にタイヤ交換を手伝わせる気はない、とかそういう感じじゃなくて、今日一日中、俺たち6人はいないかのように振る舞っている。

この仕事が嫌いなのか旅行者が嫌いなのか(これはよくある)、ただもともとそういう性格なのかは知らねえけどな、俺は手伝うからな。いいか、俺は一秒でも早くキャンプに着いて、一秒でも長く寝っ転がって星空を独り占めしたいんだぜ!

面白いように転がっていってしまったスペアタイヤを取りに走り、なんでお前そんなの手伝ってるんだ?頼まれてもないのに物好きだなあという周囲の視線を感じながらも、あと2時間ほどで月が昇って、星がいまほど見えなくなることをヨハンから聞かされていた俺にとって、そんなことはどうでもよかった。奴の仕事は若干危なっかしく、あげくにジャッキを最大に伸ばしてもパンクした左前輪を浮かすことすらできずに、二人仲良くパンクしたタイヤの周囲の砂を掘るはめになった。素手で掘り進めていると、昼間の灼熱からは考えられない、ひんやりとした砂が気持ちいい。なんのためのジャッキじゃあああ(笑)とか思いながらも、まるで用意されたアトラクションのように感じるほど、この時間が楽しかった。思ったほど長くはかからずに、ひっかかった最後の砂を掘り終えて、パンクしたタイヤがからからと回った。

我々にとっては運良く、そして本人にとっては運悪く、砂漠を通りがかった(砂漠通りがかんなよ!と心でつっこんどきました。)おっちゃんはさすがに手慣れていて、スペアタイヤの装着はあっと言う間に終わり、無事にジープはキャンプサイトへ到着。2時間もせずに月が登るらしいことをみんなに伝え、そっこーで荷台を飛び降り、ちょっと離れたところで上を向いて寝っ転がると、そこには今までに見たどんな星空よりも綺麗な、ほんとうに満天の星空が広がっていた。

その星空を見た体験というのは、ちょっと言葉にはできない気がする。今でも目を閉じるとすぐに思い出せるけど、まるで自分の眼球の中に小さな無数の星が入っていて、目を閉じてその輝きを見ているような、そんな感覚。視界のあちらこちらで星が流れていた。


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キャンプファイヤーで料理。一回薪をずらして、炭の上でアルミホイルに入れた野菜と鶏肉を焼く。

その後はバーベキューの鶏肉、暖かいスープ、アエーシをほおばったのだが、この食事は本当に旨かった。多分、何喰っても旨かったんだと思う。そこに旨いもん喰ったもんだからそりゃあもう旨かった。食事を終えて雑談していると、砂漠キツネがひょっこりと姿を現した。

「エサやったらまずいと思う?」
ダメだとは思いつつ、あんまりかわいすぎて、言葉にしてしまった。
ベルギー人のクン「だめだって。それはすごい良くないよ。」
「うん(笑)。そうだよね。」
野生動物がこんなに人や火の近くに来ている時点ですでに手遅れな感じもあるけど、とにかくかわいかったなあ!
パキスタン人の女性「なんでキャンプのこんな人に近いとこまで来るのかしら?」
クン「きっと人間のことが好きになってきたんだよ。」
「それだけはないだろー。メシが喰えると思って来ただけだと思うけど」
ここだけは俺が当たってるはずだ。

キャンプのすぐ脇にある大きな岩をぐるっとまわった反対側まで散歩して、大きな奇岩が右手に見える位置に腰をおろすと、特に何も困ったつもりも、問題もなかったはずなのに、半日ぶりに一人になったせいか、

(はー、集団行動ほんっとに苦手だわー。)

なんて正直な気持ちが聞こえて来る。こういうとき俺の頭は、自分がとんでもない欠陥品だっていう思いでいっぱいになる。いったい何をストレスに感じるんだろう。ここには誰も悪いひとなんていないのに。俺は何を直せばいいんだろう。それが知りたい、と思った。

座り込んでそんなことを考えていると、暗闇の中から一人の男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。それはすごく唐突で不思議な光景だった。その男はゆっくりと近づくと隣に腰を降ろし、こう言った。

謎の男「何か食べるもの持って来てやるよ。待ってな。」

男が去って行く方向に目を凝らすと、離れたところにバンが一台停まっていて、そのバンに張られたタープの下には寝袋のようなものが見える。右に視線を移すと、50メートルほど離れたところにはテントもあった。

オレンジを一つ手に、男は再び俺の隣に腰を降ろした。
男「オレンジ持って来た。喰うか?」
「ありがとう。半分食べる?」
男「俺はいいよ。もうお腹いっぱいだ。」

寝ている旅行者たちを起こさないようにひそひそ声で話しているうちに、この男も砂漠のガイドで今は3人の女性の世話をしていることがわかった。2人は寝袋で、1人はテントで寝ているらしく、一週間ひたすら砂漠にいるらしい。

「一週間もいるの??いいなああああ!」
男「だろう?俺は今回の仕事が嬉しくてしょうがないよ。この静かさが大好きなんだ。」
「わかるよー。いつか俺も日本の友達数人と、そんなことやりに戻って来たいなあ。」
男「そのときは、俺をガイドに雇うといいよ。」
「うん。その時はそうする。」

寒さに震えるのを隠そうとしていた彼にお礼を言って、キャンプへ戻ろうと立ち上がると、右の奇岩の上には、明るく美しい月が昇っていた。ああこの月も、とてもきれいだ。


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暗闇の写真は一枚も撮らなかった。これは翌朝撮った白砂漠。もはや、別の惑星に来たとしか思えない。

クン「おかえり。」
「ただいま。そうだ、オレンジ食べる?」
クン「オレンジ?オレンジなんてどうしたの?」
「どうしたと思う?」
クン「まさか砂漠の真ん中にいきなりオレンジの木でも生えてたのか?」
「はっはっは!ま、そんな感じだよ。:-)」

そう言って火の周りに座り、再び輪の中に戻ってしばらくすると、どこからかフランス人夫婦とそのガイド2人がキャンプファイヤーに合流した。この夫婦は歩いて砂漠を旅しているらしく、ガイドとドライバーは車で食料などを運んでいるそうだ。そうか。オアシスに滞在して、自分に合ったガイドと交渉すれば、ツアーじゃなくていろんな旅を作れるんだな。すごい旅だなあ、なんて思いながら、あんまり口を開かないようにしていると、どうもこのフランス人夫婦がとてもとても優しい目で俺を眺めてくる。これは気のせいじゃあないぞ。と思う頃には、二人とも俺の隣に移動してきていて、日本に行ったことがあるんだと、こんなエピソードを話しはじめた。

京都に一ヶ月滞在していたある日のこと。その日二人は別行動をとっていた。奥さんの方が京都の街を一人自転車で観光していたとき、ほんとに軽くではあるが、自動車と接触してヒザを擦りむいてしまった。その場で必死に謝る日本人の女性ドライバーに、ほんとうになんともないから、もう大丈夫だからと繰り返し告げて、奥さんはその場を後にした。そんなこともすっかり忘れ、京都の名所をいくつか回った夕方、彼女は偶然またその車に出会うのだが、実はそれは偶然ではなかった。その女性ドライバーは、彼女と別れた後に薬局で絆創膏を購入すると、半日かけて再び彼女を捜し出し、さっきはほんとにごめんなさいと、絆創膏を手渡したそうだ。

奥さん「私たちは、日本の人がほんとうに大好きなの。」

外国人から日本人はほんとうに優しい、という言葉をもらうことはしょっちゅうあるけど、その都度、うーん、と思う。正直に思った事を言わないってだけで、実はなにを考えてるのかわからない、っていうのは、きっと優しさじゃない。でもこの時ばっかりは、

「ありがとう。確かに、日本人は優しいかもね。」
そう言って、残ったオレンジを分け合った。

寝袋にくるまると顔だけがきんきんと寒い。砂漠の夜の寒さを実感できてることに感激しながら、どうやらさっき感じたストレスは、日本でもよく感じるやつなんじゃないかなんて考えてるうちに、あっと言う間に眠りに落ちた。(続く)


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別テイク。

POSTED Thursday, November 18, 2010 19:25

大阪でライブやってきたよ!

ほいー!

Superfly & the Lemon Batsのツアーゲストに呼ばれて大阪いってきました!一ヶ月ぶりのライブだったから、そりゃもう楽しくて、やべーあがっちゃってちょっとおいなんじゃこりゃああああ!なんてやってるうちに終わってしまいました。やっぱライブ楽しぇええええええええええ!!!

明日もデビロック!

今からエジプト旅行記⑤をアップして、ごはん食べて、とっとと寝ます!

おやすみなさい!


POSTED Thursday, November 11, 2010 18:56

エジプト旅行記④ 10月27日 前編

タハリールスクエアの真正面にあったユースホステルをチェックアウトすると、ほんの2泊しただけなのにずいぶんと愛着が湧いていたことに気づく。そりゃあそうか。カイロで初めてほっとした場所だもんな。鈴木君、リー、エディと、新しくやってきたアメリカ人学生には前夜のうちに別れを告げ、早朝のアラームで起こしてしまうかもしれない事を前もって謝っておいた。2日ぶりにバックパックを背負い早朝の街へ出ると、カイロの街にも少し慣れた自分と、新しい旅の予感に思わず駆け出したくなる(そして実際声を出して笑いながら駆け出しました)。

前日の打ち合わせどおり午前6時半にウィリーの働く宿のレセプションに姿を現すと、ソニーが床で毛布にくるまって寝ている。まるで日本人みてーな働きぶりだな。なんか起こすのわりいなあと思いつつも、バスに乗り遅れるのは嫌だったのでドアをコンコンとノックした。

「ソニー。6時半だよ。」
「ん?タケシか。んあー、眠い。」

砂漠用に別けておいた荷物以外はソニーの宿に預けて、エジプトの携帯電話を借り、バスターミナルへ向かう。こういう時のために持って来ておいた小さめの肩掛けバッグが早速役に立った。:-)

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ソニーのゲストハウスは本当に綺麗で信頼できるが、そのビルのエレベーターはかなり昔にぶっ壊れたっぽく、1階と2階の間で朽ち果てていた。この状態になった時に乗ってた人はきっと肝を冷やしたはずだ。


バスに乗り込むと、それは完全なるローカル線長距離バスだった。エアコンはもちろん効かない。車両後方の蛍光灯が切れているため薄暗く、満席で、隣には英語もさっぱりの大柄なエジプト人が座っている。見回すと社内に外国人は俺一人。窓側だったのが救いだな、なんて思うのも束の間、走り出したバスが郊外へ抜け、今はもう使われていなそうな線路と平行に伸びた舗装路を西へ西へと向かう頃には、照りつける太陽から身を守るべく、自分側の窓には例外無くカーテンが引かれていた。

通常の窓の上部に取り付けられた換気用の窓は全て開けられ、そこから吹き込む風は車内の温度を下げるのにそれなりの効果をあげてはいたが、同時に砂漠の砂を大量に巻き込んで若干息苦しい。ああ、ほんとに砂漠の旅をしているんだな。俺は、これがしたかったんだ。そう思ってカーテンの隙間から覗く、延々と続く砂と岩の景色に、飽きる事なく食い入った。

3時間ほどした頃、砂漠の真ん中に突然現れた何かの建物らしき所で唐突にバスが停車したのだが、車内アナウンスがあるはずもなく、降りて行く人にここが休憩所なのか聞こうにも言葉が通じない(旅行者相手か、海外と取引のある人、もしくは大学生でもないと英語はなかなか通じない)。何分ぐらい停まるのかも分からないし、置いて行かれたらそれこそどうなるか分かったもんじゃない。トイレもまだまだ平気だったから車内で待とうかなと思った瞬間、自分の心の声がはっきりと聞こえた。

「なんでそんな言い訳してんの?本当は降りてどんなところか見てみたいのに。」

昨夜のウィリーとの言葉が蘇る。
ウィリー「脳の言う事はときどきすごく的外れで、それだけが自分自身だと思うとけっこう落ち込むぜ。例えばあのウェイター。あいつの頭の中にはきっとあのテーブルのでかパイアメリカ人とベッドインしてるイメージが浮かんだりするはずだ(笑)。でも、だからって実際そうするわけじゃない。そうだろう?」

ここでふと、掴めたことがある。頭と心は本来しっかりと対話をするべきだ。頭が推奨することでも、実は心が悲鳴をあげるようなことってあるんじゃないだろうか。逆に心が元気になることを、頭が禁止したりはしていないだろうか。そして自分の心は、本当に思っているほど臆病なんだろうか。

パスポートと現金だけをポケットに入れると、他の人より少し遅れてバスを降りた。するとそこは思った通り休憩所で、テラス席のようなところで紅茶を飲む人もいれば、屋内には小さな売店とトイレもある。そう言えば朝から何も食べてなかったな。チョコウェハースと新しいペットボトルの水を買って、サクサクと食べながら外へ出てあたりを見回すと、やあ、はじめまして、砂漠の旦那。


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サービスエリアから見た砂漠。照りつける太陽はこの季節、午後2時半頃、ピークを迎える。

しばらくボケーっとしていると、乗って来たバスがけたたましくホーンを鳴らし始めた。アラビア語は分からなくても、その意味はすぐに分かった。「戻ってこい」、だ。バスに戻る途中、今着いたばかりの大型観光バス(エアコン完備。座席の広さは倍近くあるだろう。)から降りて来た日本人観光客の女の人とすれ違う。すでに砂まみれの俺とは違い、まんま清潔さをキープしている。日焼けが怖いのか頭から体から変な布を巻き付けて、「ああ!もう砂だらけよ!」と砂漠を罵っていたのだが、砂漠の砂を飛ばなくするのは、いくらエジプト観光局とはいえ逆立ちしたって無理だろう。

そこからさらに2時間ほどバスに揺られて到着したバハリアオアシスは、本当に砂漠のど真ん中に突然緑が生い茂った一帯が出現した感じで、おわー、なんじゃこりゃあ!とテンションはマックスに。ちなみに乗客の一人が「バハリア!バハリア!」と声をかけてくれなければ、間違いなく降り遅れて更に遠方のオアシスまで行ってしまったことだろう。

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バハリアのバス停からホテルまで走ったタクシーっつーかなんつーかな車。

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バハリアオアシスの景観。わはははっ!と声が出るんだほんとに。

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昼食!うんまい!アエーシ(丸形パン)が皿に載ってるなんてのは上品な証拠。街の食堂ではテーブルの上にボン!と出されることも多い。

その後はなんだかいろんな行き違いもありながら、砂漠ツアーを主催しているオアシスのホテルへどうやら辿り着き、他にツアーに同行するという数人を待ちながら昼食。昨日砂漠で泊まって来た、というオランダ人のヨハンとしばらく情報を交換して(てか一方的に仕入れて)、まだ1時間ほどあるというのでふらりと外に出ると、エジプト人のじっちゃんが声をかけてきた。

じっちゃん「旅のひと。おぬしどこから来なすった?」
道中、少なくともなんらかのアラビア語は喋れた方がいいと思い立ち、歩き方の付録を2時間かけて暗記しておいたので、試しに
「アッサラームアレイコム。アナヤベーネ。フルササイーダ。」
(こんにちは。私は日本人です。お会い出来て光栄です。*と言ったつもり。合ってる?)
と言ってみた。すると、エジプト人はアラビア語で挨拶をするだけで、とても喜んでくれることがよく分かった。それまで話して来た人たちとあきらかに反応が違う。いっつぁにゅーみれにあむ!だ。
じっちゃん「アレイコムサラーミ!」
(こんにちは!)
と大きな声でにこやかに返してくれて、ハイファイブにも似た、アッパーな握手をしてくれるのだった。これはこの後の旅を通じても、最も有用な発見の一つになった。
「つっても、これだけしか喋れないんだけどね(笑)。」
じっちゃん「わっはっは。まあいい。わしはここのオーナー、アフメッドじゃ。おぬしまだ小一時間ほどあろう?このホテルを出て左へ曲がり、ホテルの裏手へ出るのじゃ。そこから200メートルほど行くと、温泉が出ている。この一時間をもっとも快適にすごすならそこじゃ。閉まる前に急げ。もしチケットを買えと言われたら、ミスター・アフメッドに言われて来たと言えばいい。」
「まじっすか!ショクラン!」
と言うが早いか駆け出していた。じっちゃん知ってるか?俺たち日本人は世界で一番温泉好きな民族だ!そして俺は青刺入れて以来、ロクに温泉入れてねえんだぜ!いったらああああああああ!!

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ちょっとだけ迷ったけど見つけました。温泉ってイメージじゃないけど、水温39度ぐらいかなあ?

そこにあったのは、温泉というか、農業用に汲み上げた地下水の水量を調節するほんとにちいさな石でできた貯水槽。誰のものだかさっぱりわからないが、近くで農作業をしている兄さんに入ってもいいか?と聞くと、無言だが笑顔で、ああ、入れ入れといった仕草を返してくれた。チケット代をせびられることもなく、海パンがない旨を告げるとショーツでいいと言うので、出た後のことは考えずに飛び込んだ。

天国!!!!!!!

ここは天国だ!!!!!!

壁と底にびっしりと苔だかなんだかが生えててヌルヌル、ぐにゃぅとするのを差し引いても、ここは間違いなく天国だ!!!!!(続く)


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うっひょおおおおおお!!
きたきたきたああああああああ!!!


POSTED Wednesday, November 10, 2010 15:19

エジプト旅行記③ 10月26日 後編

13時にピザハットの前でジャンレノにピックアップされた後は、ジェゼル王の階段ピラミッドをサッカーラに訪ねて、一路古王国時代の王都メンフィスへ。現在のミト・ラヒーナ村にある、メンフィス博物館のラムセス2世の巨像を見るためだ。

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階段ピラミッドは最古のピラミッド。マスタバ墓を積み上げるように増築され、この形になった。

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ミト・ラヒーナ村の様子。ジャンはここをメンフィスと呼んでいた。

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ラムセス2世の巨像。なんか前ラジオに誕生日が一緒とかいうメールが来てなかったっけ?会いたかったぜラムセス。

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博物館のバルコニーから見た植物。爆発する生命力に心奪われる。

博物館を出てジャンレノの待つタクシーへと戻ると、あれ?乗ってないな。てか窓も開けっ放し、鍵もつけっぱなしかよ。きょろきょろと辺りを見回すと、民家の軒先、背の高い木がまばらに生えているその木陰に、木製のカフェテーブルのようなものを囲むようにして、5人ほどのエジプト人がおのおのシーシャを吸ったり紅茶を飲んだりしている。ムスリムらしい服装をした初老の紳士や、洋服に眼鏡をかけた若者に混じって、ジャンも悠々とくつろいでいるではないか。ああ、そういえばメンフィスに住んでるって言ってたもんな。ここは友達の家かなんかなのかな。すたすたとそのテーブルに向かい、空いている椅子に腰かけると、初老の紳士がシーシャを吹かしながら、紅茶をすすめてくれた。

おじいさん「紅茶にはウィスキーを入れるかい?」
「あれ?ウィスキーなんてあるの?」
エジプトではアルコールを半ば諦めないとダメだなと思ってたから、なんか唐突に嬉しい。

おじいさん「入れるのか。入れないのか。」
「ああ、できれば入れてください。多めに。」
ジャン「あんまりゆっくりしてられないぞ。この後もう一カ所回るんだ。」
「うん、でも赤のピラミッドはもういいんだ。ここでしばらくのんびりして、今日はこれで帰ろうよ。」
おじいさん「そうじゃそうじゃ。そうするがいい。リラックスは大事じゃぞ。」
ジャン「そうするか?まあ、お前の旅だからな。わかったよ。」

そうしてしばらく、テーブルに落ちる広葉樹の影や、濃い緑の葉の間にきらめく陽光を眺めていると、旅の疲れが消えて行くのを感じる。ふと訪れるこういう瞬間がたまんねえんだよなあ、なんつって、暖かい紅茶がそれはそれは美味しく感じるのだった。その後は無遠慮にもおかわりなんぞをもらいながら、シーシャも回って来て、ゆったりとくつろぐことができた。英語が堪能なエジプシャン達との会話はけっこう盛り上がって、その中で交わされた会話にとても心に残っている場面がある。

眼鏡君「お前いいやつだな。」
「そんなことないよ。努力はしたいけど。」
おじいさん「いや、そんな努力をしてはいかん。いいか、お前はただお前でいればいい。そもそもお前には、何かを誰かに証明する義務などないのだ。」
「?」
おじいさん「他の誰かに何かを証明しようとする。そこからお前はお前ではなくなり、物事がおかしくなりはじめるのだ。」
おおっ!!確かにその通りだ。旅ってすげえなあ。この一言、この先も忘れないでいたいなあ。なんて感動してて、おじいさんの口からついにその一言が出てくるまで、しっかりと型にはめられてることには全く気付かなかった。

おじいさん「さて、ところでな、旅の人。うちはパピルス工場をやっとるんだがな。どうじゃ。ちょっと見学していかんか?」

(あれ?ここ土産物屋っすか?)

そうなのだ。ジャンとこのパピルス屋とはバーター仲間で、博物館の帰りの旅行者を、頼んでもいないのに連れて来る事になっていたのだ。ツアー客なんかもバスでいきなり土産物屋に連れて行かれたりするあれだ。わー!気付けよー俺!こんなのぜったいワケありに決まってるじゃないか!先に言えよジャン!って、言う訳ねえもんなあああ。しかし上手いなこりゃ!

なんて頭では思いつつも、心はこの素晴らしい時間にとても満足していたので、最初から、パピルスを一つ買うつもりで建物に入った。最後いきなり仕事モードに持ってかれて面食らったが、それまでの会話の全てが作戦という訳でもなかろう。どうせ一葉になにかエジプトの匂いを買って帰りたかったからちょうどいいや。頼んでもいないパピルスの作り方を一通り実演された後で、荷物にならない大きさで、一番目を引いたものを手に取った。レジ係の眼鏡君にお金を払って、さかんにもっと大きいのをすすめるじっちゃんを尻目に、さあカイロへ戻るぞ、ジャン。


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ルネッサンス記の先人たちが確立した透視図法を粉砕するような前衛性に、やつも溜飲を下げることだろう。

ちなみにカイロの街へ戻る途中、ジャンとの会話は全て婚前交渉についてに終止した。




そしてカイロの街へ。その後はナイル側に沈む夕陽をぼけーっと眺めて、あ、そうだ、明日は砂漠へ行こう。カイロはもういいや。きっと夜は寒いだろうからな。なんか長袖をもう一枚買っとこう。なんて思って街をうろついているうちに完全な迷子になりました(泣)。うーん。どこだここは。

半泣きで地図を見ながら何度も同じ道を行ったり来たりして、スーツ姿のおやっさんに道を教えてもらってようやく地下鉄の駅を発見したときには、もう足のマメがつぶれそうになっていた。いや、初日で潰れたら困るぞ。ここからは地下鉄に乗って帰ろう。タハリール広場のあるサッダート駅までは1ポンド。地元民でごった返すメトロに揺られながら、1日でこんなに歩いたのはいつぶりだろう、とひとりニヤニヤする。


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ナイル川対岸に沈み行く夕陽。

宿でシャワーを浴びると、約束どおりその気になったのでソニーの経営するユースホステルへ出向き、結局白砂漠一泊キャンプツアーの他に、アブシンベル神殿行きの航空券とバスチケット、さらにそこからルクソール行きの電車のチケットを確保してもらうことになった。ソニーの仕事は早い上に正確だ。そのうえユーモアのセンスもある。この男が唯一持っていないものは、柏倉隆史のような渋いヒゲぐらいだなと思いながら、お礼にカイロの最後の夜をこのホステルで予約して、ウィリーとご飯を食べに行った。

ウィリーとの食事中に、長いこと考えてた疑問に対して、あっさりと答えが出てしまった。ニーチェやフロイトやユングを読んでもダメだったのに。この時はもう、旅の目的を全部果たしちゃったような気分だった。いつからか気になっていたピラミッドは観れたし、この旅中で見つかるといいなと思っていた答えもわかったし。あとはオマケみたいなもんだな。思いっきり楽しんでこよう!

ようやくビールを辞めることが出来たんだ、と話すウィリーの前で2本目のビールを頼む気にはなれずに、明日も朝早いからと1時すぎには宿に戻ったのだが、この時はまだ何もわかっていなかった。翌日の夕暮れに辿り着くことになる、白砂漠から本当の旅は始まるのだった。(続く)


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宿の階段の主。すんません、通してもらっていいすか。

POSTED Saturday, November 6, 2010 21:04

エジプト旅行記② 10月26日 前編

ここ数日あんまり寝れてないこともあって、どっぷりと惰眠を貪っていた早朝、たぶん午前4時ごろ。イスラムの祈りが街中に響き渡る。モスクからの放送なのか、それとも街頭にくくりつけられたスピーカーから流されているのか、ついぞこの旅では明らかにならなかったが、ものすごい音量だ。まだ真っ暗な街中に響くイスラームの祈り。ぼやけた頭でそれを聞いていると、現実と夢の境界線が溶けてなくなっていく。まるで夢の中で目覚めたような、ずいぶんと不思議な感覚だった。遠くへ来たんだなあと思いながら、ふたたび眠りに落ちる。

iPhoneのデフォルトのアラームはまるでホワイトベースの緊急戦闘配備警報のようで、この部屋で鳴るにはちょっと問題があるような気がした。飛び起きて逃げ出す人がいるんじゃないかと思ったけど、みんなぐーすか寝てた。すっかり東京の自宅気分で起きたもんだから、えーと?あ、エジプトに着いたんだ。そっかそっか。今日はギザのピラミッドを観に行くんだった。と、急に旅に放り込まれる。


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26日朝、ユースホステルのバルコニーから見たカイロの街。

ダッシュで朝食をかき込んで、午前8時半、ドライバーの到着とともに出発。

渋滞した市内を40分ほどで抜けて郊外へ向かうタクシーが、フリーウェイを走行中にふと、無言で減速して路肩に寄せていく。おや?さては車ぶっ壊れたな。。ん?でもとろとろと走ってるな。一体、と思って右を向いたその時、視界に飛び込んできたのはカイロの高層建築の向こうに、砂塵に霞んではいるがはっきりと浮かぶギザの3大ピラミッド。「でっけえええええええ!あんなにでっけえの!?」思わず大声が出た。オヤジ、やるじゃねえか。無言で減速か。渋い。渋すぎる。

ていう思いは帰る頃には「ああ、喋んのめんどくさかったんだな」っていう確信に変わるのだが。

ピラミッドエリアの正面入り口、チケット売り場の前でタクシーを降りる。「1時にピザハットの前な」と言い残し走り去るエジプト版ジャンレノ。視界にはずっとピラミッドが見えている。なんじゃああこりゃああ。あの、チケットください。はい、入場チケットす。あ、こっから入るのね。うんうん。改札を抜けて、と。うんうん。あれがクフ王のピラミッドね。でっけえなあー。え?いやいや、いいよ俺歩くの好きだから。らくだはいい。別に。うん。馬もいいや。

「てか、あんた誰?」
いつの間にか俺の専属ガイドぶったエジプト人に向かって言ってみた。
専属ガイド「いや(汗)、俺はここのガイドなんだ。旅行者が快適にピラミッドを観れて、キャメルライダーやホースライダーや物売りに騙されたり、危ない目にあうのを防ぐのが仕事さ。遺跡もしっかり解説してやるよ。さあ、行こうぜフレンド。」
「ほほう。で、1日の終わりにいくら取られるの?」
専属ガイド「(ちょっと面食らって)う、そ、そうだなあ。それはけっこう、まちまちっていうか、お前次第ってとこかな。」
「いらないや。歩いていくね。」
専属ガイド「ちょ、ちょっと待て!そうだなあ。えーと、ヨーロッパ人なんかだと100ドルぐらいくれたりもするし、えーと、200ポンドとかのときもあるし。。」
「じゃあねー。」
歩き去る背中には、一人では危険だとか、俺は日本人が好きなのに、とか聞こえてくるが、タハリール広場で俺に「ヘーイ、日本人か?日本人ってのはほんとナンバーワンだよな」と言って話しかけて来た男が、2分後には別のフランス人に「フランスはほんとナンバーワンだ。俺はフランス人が一番好きだ」と言ってるのを聞いていたので、お仕事お疲れ様です!という思いでいっぱいのまま、一番手前、愛しのスフィンクスに向かって歩き続けた。


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これがメインゲート。左の小屋がチケット売り場と改札。俺の立ってる真後ろに、ピザハットとKFCがある。

ちなみに、エジプトの人たちはほんとに正直でストレート。めっちゃ人なつこくて優しい。俺は大好きになったよ。旅行者からお金を稼ぐのは単にこの人たちの仕事。それさえ理解してれば腹立つことなんてほどんどない。普通の人たちからたくさんの、無償の優しさを受け取ったし、旅行者相手のビジネスをしてるひとも、いったんお金のことから離れると本当にいい人が多い。


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メインゲートを抜けると待ち受けるのは、ギザのピラミッド群。

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正面から見たピラミッドコンプレックス。

スフィンクス、クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド。外観を見てるだけでもうため息が出る。本物に出会ったときに生まれる、感動がある。だいたい外からは見て回ったので、今度は中に入ってみよう。クフ王のピラミッド内部へ入るには、午前8時のチケット発売前に並ばなければいけない。これには間に合わなかったので、終日入ることができるカフラー王のピラミッドに入ろう!と思い長い長い列に並ぶ。30分ほどでチケットゲートに辿り着き、入り口の石の上にどっかりと座り込んでいるもぎりのおっちゃんに聞いてみる。

「チケットてここで買えんの?」
もぎり「ここにはない。メインエントランスまで戻って買え。」
とのこと。うわちゃー。まじっすか。そんな気もしてたんだけど、さっき誰かここで現金数えてたから、買えるのかと思ったよー。しょうがねえ、とメインゲートまでひーこら戻る。朝一で専属ガイドと別れた場所だ。ゲートの人に後ろから話しかける。
「2ndピラミッドの中に入るチケット売ってくれませんか?」
改札の人「それはピラミッドの横で売ってるよ!」

んんん?これはどいつが面倒くさがってやがるんだ?
「え、入り口では売ってなかったよ?」と言うと
改札の人「いや、ピラミッドの横だ!横で売ってる!」
と言い張るので、ああ、もしかしたらあのとき周りをもっとよく見ればチケット売り場あったのかなと思い、しかたなく今来た道をまたカフラー王のピラミッドまで戻る。もう3回目だぜここ歩くの。(今思えば、ここで徹底的にごねてチケットを確保するのが正解なんだけど、このときはまだエジプトのやり方がよく分かってなかった。)

「ねえ、チケットどこで売ってんのよ」
さっきのチケットもぎりじいさんに聞いてみる。
もぎり「外。外に売っている。」
と今度はメインゲートではない方を指さしているので、そっちの方へ今度は行ってみる。こうなったら俺は絶対にカフラー王のピラミッドの中へ入ってやるからな。いいか、何があろうとだ。なんだかいらん炎が心の中に立ち上るのを覚える。


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クフ王のピラミッド。とにかくでけえ!

カラシニコフで武装した警官数人に道を訊ねながら歩いていると、どうやらクフ王のピラミッドのさらに向こう側に、チケット売り場があるらしい。しこたま歩いて見えて来たのは、正面よりだいぶ小ぶりな駐車場と、改札&チケット売り場。なんだよ。結局入場時に買っとかないとだめだったんじゃないか。メインゲートの奴は俺を一回外に出すのがめんどくさかったんだな。よし、あの警備員と交渉してみよう。

「あのさ、ピラミッドのチケットを買わないで入っちゃったんだけどさ、やっぱり中見たくなっちゃったんだ。外へ出てチケット買って来ていい?」
「ああ、いいよいいよ。」
「言っとくけどもっかいエントランスチケットは買わないよ。それでも入れてくれる?」
「大丈夫大丈夫。俺が証人になってやるから。」
その言葉を受けて、ゲートの外へ出てカフラーピラミッドのチケットを購入。やっっっっと買えたー(泣)!なんて喜びながらゲートを再度通過しようとすると、目の前によく分からない地元の連中が立ちはだかった。
ジモティ「お前、入場チケットを見せろ!」
おお、意外と荒いなここは。こりゃあ立ち止まんない方がいいぞと思って強行突破しようとすると、二人組の男が両側から立ちはだかり、胸の辺りを平手で押しとどめて来た。
ジモティ「止まれ!おい!いいからまず止まれ!」
けっこうな剣幕に、思わず立ち止まってしまった。視界のはしっこにはすぐそこまで俺を迎えて来ていたさっきの警備員が、スタスタと戻って行くのが見える。
「なんだよ。俺はあのセキュリティと話をつけてあるぜ。」
そう言って、戻っていったセキュリティを指差すと、やつはまるでそしらぬ顔をして、若干ばつが悪そうにだが、そっぽを向いている。まあな。そうだろうな。
ジモティ「そんなわけないだろう。俺はここのキャプテンだ。チケットを見せろ」
「キャプテンってなんだよ。エントランスチケットはちゃんと持ってるぜ。絶対もう一枚は買わないからな。」
ジモティ「見せてみろ。」
しぶしぶチケットを手渡すと、ジモティは胸のポケットからメモ帳を取り出し、そこに書いてあるアラビア数字と、俺のチケット番号を照合するようなフリをしている。くっそ、こんな茶番に付き合ってる暇はねえ。そう思ってそいつの手から乱暴にチケットを取り返すと、
「いいか、これは俺のチケットだ。お前ら盗む気か?もう一度言うが、俺はあのセキュリティと話をつけてから出て来てる。今からここを通るが、絶対に俺の体に触れるなよ。いいか?通るからな。」
そう言ってすたすた歩くと、無事にゲートを通過することができた。いやー、ほんとにお仕事お疲れさまだよまったく!

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ピラミッドサイトから振り返ったカイロの街。

その後しばらくは血圧あがったままだったけど、カフラー王のピラミッド内部へとつづく列に再び並んだ頃には、すっかりといい旅気分に戻っていた。最初みたときよりずいぶんと短くなっていたその列は5分ほどで自分の番になり、腰を落として背中を90度近く曲げないと通れない階段が下へと続いている。今そこから戻って来たばかりの推定アメリカ人がようやく伸ばせた腰をとんとんと叩きながら、
「まったく、日本人にでもならなきゃこんな狭いとこ通れんぜ!」
なんて言うもんだから
「なんだって(笑)?」と言うと
「おお!お前日本人か!わっはっは!」と
その辺にいた人がみんな笑ってた。いいなあ。こういうの。

V字型の階段を降りている時も、登っている時も、狭い回廊の中に響き渡るのは戻ってくる人たちの愚痴だ。
「拷問だ!これは拷問だ!」
「短い!10メートルもないなんて!」
「○○!そこにいるかい?」
「他にどこにいけるって言うのよ!」
「拷問だ!これは全く拷問だ!」
けっこう苦労して入ったんだけどなあ(笑)、なんて思いながら進むと、実際その奥の回廊はとても短くて、目を引くようなものはなにもなかったけど、俺には、今ピラミッドの内部にいるんだと思うだけでとてもとても満足だった。(続く)


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子供たち。カメラを向けるとすごい嬉しそうにする。でもやっぱりカイロっ子。服装も表情も都会的だ。

POSTED Saturday, November 6, 2010 01:43

エジプト旅行記① 10月22日〜25日

川のほとりにある小さな民家に招き入れられ、現地の少年と、その母親とおぼしき人と一緒に、ベトナムのフォーのような麺を食べている。ああ、どうやら今俺はラオスにきてるんだな。庭では修学旅行生のような一団が、なにをするでもなく大小さまざまなグループで楽しそうに喋っている。のどかだな。でも、なんか物足りなくもあるな。

なんていう夢から覚めた10月22日。昼から渋谷の書店を回る。今回の一人旅の行く先を、どうにもラオスとエジプトで決めかねていたので、地球の歩き方を両方買って来て、見比べて決めようと思ったのだ。ところが、4件回っても、全ての店に「地球の歩き方・ラオス編」があったのに対して、エジプト編は見つけることが出来なかった。変な話、一人バックパッカーは、地球の歩き方がないとどうにもならない。現地で安宿を見つけるにも、踏み越えてはいけない文化的、もしくは治安的一線がどの辺りに引かれているのかを知るにも、とても重要な手がかりとなるし、そしてなにより、未知なる世界に一人で足を踏み入れる旅人の心をふっと軽くしてくれる不思議なタッチの文章が、とても心強い。るるぶ、ではダメなのだ。

うーん。。今朝の夢の事もあるし、これはラオスに行け、ってことなのかなあ?一昨年イギリス行ったときも、空港で歩き方・イギリス編が見つからなくてテンパったからなあ。北西親子に出会ったような奇跡は、そうそう期待できまい。うん、夢の意味は分からないけど、今回はラオスに行こう。きーめた。そう思いながら航空券を探すと、出て来たのはラオス往復ビジネスクラス20万円。出発3日前だったこともあって、エコノミーの座席はなかった。これに対して、もしやと思い調べたエジプト往復、直行便エコノミークラスで9万4千円。はい、エジプトに決定!地球の歩き方?なんとかなるっしょー!あっはっは!:-)

翌23日は熊本ロンナイに参加させてもらてもらいました。泥酔してラーメン食って撃沈。

24日夕方に東京の自宅にてパッキング。パジャマに着てるTシャツのうち、そろそろ捨ててもいいかなあと思うようなものを数枚と下着を数枚。靴下や本、携帯の充電器やらを入れて、最後に、一枚だけ奮発して買ったグッチのTシャツをなんとなく忍ばせる。

25日。出発。カーキ色のカーゴパンツにTシャツ姿、上着をスピットファイアのバックパックにくくりつけて、カンゴールの旅帽子を被ると、やあやあ、旅人らしく見えるじゃないか。コンセント変換プラグとダイアル式ワイヤロックを購入して、現金とクレジットカードを一撃で全部盗まれないように分散して、空港内の書店へ。頼むぞおおお。祈るようにして旅のコーナーへ行くと、あった!ありました!地球の歩き方・エジプト編!っしゃああああ!勝った!もらったぜ!そんなテンションでエジプト航空の機体に搭乗しました。

この瞬間。毎回そうなんだけど、「お、いよいよ一人っきりだなあ」と強く感じる。この瞬間から、自分の心の声が、やけにはっきりと聞こえるようになる。へっへっへ、いっちょよろしくなー。14時間半のフライトは、アラビア数字を覚えたり(英数字はあんまり見かけない。バスの番号や電車の座席、メニューの値段や車のナンバープレートなんかも全てアラビア数字で書かれてるから、読めないととても旅にはならないのだ。)、ぼんやりと旅のルートを考えつつ歩き方を読んだり、寝たり、アイアンマン2を観たりしてるうちに終わりました。うーん。ダハブ行きたいなあ。

ダハブはバックパッカーの集まる小さな街で、世界一美しい紅海のリゾート地。ダイビングやスノーケリングが楽しめて、のんびりと頭をからっぽに出来そうだった。ただ日本人パッカーが多いところはあまり行きたくないのと、ビーチリゾートでゆっくりするだけならなにもエジプトまで来る事もあるまいっていう思いもあって、うーん。カイロからシェルム・イッシェーフまで飛んで、さらにそこからバスで数時間かあ。往復で2日使っちゃうなあ。無理かなあ。ま、どうせ気分でころころ変わるんだ。これは未定のままでいっかーなんて考えてると、飛行機の窓からはカイロの街が見えて来た。なんだ?これ?

エジプト、カイロ空港に到着。いままでに見た事のない街なのは上空から見た街の灯りだけでも十分に分かった。なんて言っていいかわからないけど、ああ、これは知らないぞ、と心がわくわくする感じ。もう夜の10時近い。まいったなあ。宿見つかるかな。バゲッジを受け取って、第3ターミナルから第1ターミナルへ連絡バスで移動。第1ターミナルの近くから市内行きバスが出てる、と歩き方に書いてあったからだ。ところが、地図を見てバス乗り場を目指すもいっこうにそれっぽいところはない。おっかしいなあ。あ、あそこ大きなバスがいっぱい停まってるぞ。

「市内行きのバス乗り場がこの辺にあるって聞いたんだけど、ここですか?」
運転手さん「いや、ここじゃない。」
「どこだか知ってますか?」
運転手さん「わからない。」
あ、このひとあんま英語喋れないんだ。
「市内。バス。どこ?」
運転手さん「あ、あれバス!市内!」
そういって彼が指差す方を向くと、緑色のローカルバスが走りすぎようとしている。
運転手さん「行け!行け!」
「ショクラン(ありがとう)!」
あのバスに走って追いついて乗れってことか??無茶言うな!でも振り返っても「行け!行け!」ってやってるしなあ。一応走るけど、、いや、これ絶対無理だよ。もう200メートルは離れてるしぐんぐん加速してるじゃん!うー、ここで待ってれば次のが来るかな。

なんて思った瞬間、流しのタクシーが後ろからクラクションを鳴らしてきたので、走るのをやめて、呼吸を整えてから言った。
「タフリール広場までいくらで行ける?」
運転席側の窓から歩き方についてる地図を見せた。
タクシードライバー「タハリール?」
「そう!タハリール!いくら?」
ドライバーは無言で指を3本立てる。
「3?30ポンドってこと?」
タクシードライバー「フォーティー。」
どっちやねん!4と3の間でしばらく行ったり来たりしながら、40ポンドで交渉成立。後になれば分かるけど、これはとても安い。この運転手さんは英語が全くできないので、静かな車内を満たすエジプシャンポップミュージックを聞きながら、タクシーは市内へ。

ちなみにエジプトでは、ほとんど全てのものには決まった値段がない。「いくら?」と聞くとこちらの服装やら態度やらを見て「うーん、そうだなあ、○○ポンド!」といった具合だ。旅行者価格はもちろんエジプト人価格より遥かに高いが、日本人プライスはさらにその上を行く。後々出てくるエピソードだけど、ルクソールで最初500ポンドだった壺は、本当にいらなかったから歩き去る俺の背中でどんどんその値段を下げ、駐車場へ抜けるころには50ポンドになっていた。「50ポンドでいいよー!」と叫ぶその声は、それがその壺の本当の値段であることを告げていた。

日本の高速道路でよくみるような、ぐるっと360度回ってちょうど一層下へ降りるような立体交差のあるあたりで車が停まった。
タクシードライバー「タハリール!そこ!」
「ここタハリールスクエアなの?そうは見えないけど」
タクシードライバー「すぐそこだから!大丈夫!」
「ふーん。じゃあ、約束どおり40ポンドね!ショクラン!」

見知らぬ街で最初にタクシーを降りると、東西南北が分からない。そして今自分がいる位置も正確にはわからないから、なにかランドマーク的なものを見つけるまでは、実は地図は役に立たない。最初の一歩が宿へ近づく道でありますように、と願いながら歩きはじめた。

その後は道行く人に数回、そしてまだ開いていたツアー業者の受付にいた人に数回道をたずねて、なんとか狙っていたユースホステルに到着。シングルルームは空いてなくて、ドミトリーなら一泊30ポンド。よかったー。とりあえず2泊分を払って、部屋に案内される。韓国人のリー、日本人の鈴木君、ドイツ系イギリス人のエディとの相部屋。5人部屋だからまだベッドは一つ空いている。わりときれいでエアコンはなし。トイレはペーパーを流せないのでゴミ箱に捨てる以外は日本と変わらない。シャワーはちょろちょろだったけどお湯が出る。カンボジアは水だった。受付の男の子の愛想のなさが、旅に来たなあって実感を強くする。これこれ。この感じ。へっへっへ。

荷物をほどいて、ひとまず腹ごしらえだと外に出てプラプラしていると、「ジャパニーズ?」と声をかけてくるエジプト人がいた。
エジプト人「こんなとこで何してるんだ?」
「いや、今着いたとこなんだけど腹減っちゃってさ。なんか食べようと思って。」
エジプト人「ほんとうか?俺も今ちょうど暇なんだ。案内してやるから着いて来いよ。」
「うん。いいよ。コシャリが食べたい。」
コシャリとはエジプトの庶民の味。細かく切ったパスタや米やちぎった麺なんかの上に、トマトソースをどばっとかけて、ガシャガシャにかき混ぜて食べる。安くて、お腹いっぱいになるのだ。
エジプト人「カイロで一番美味いコシャリがすぐそこにあるぜ。」
あまり海外になじみのない人には分からないかも知れないが、日本人旅行者ってのはお人好しでお金持ち。簡単に騙される上に闘わないことが多いから、こんなのは王道のパターンだ。実際この旅行中アホほど話かけられるが、9割以上お金目当てだった。それもこれも本当によく思いつくよなあと関心するようなトリックで騙される。あ、騙された、って気付くのは大抵お金を払ってしばらくしてからだ。

「あのさ、こんな風にひょこひょこついてってるなんて我ながらウケるけどさ、なんか、もしあんたが悪い人だったとしたらこの国で悪い人を見抜くのは至難の業だと思うんだよね」
エジプト人「何言ってんだよ。この国で悪いやつらは本当に上手だよ。たぶん見抜けないって。」
「あ、そうなんだ。ガイドブックには広場で声をかけてくるような奴は100%下心ありだから気をつけろ。大抵のトラブルは声をかけられてついていくところから始まる、って書いてあるよ。」
エジプト人「ふーん。そうなんだ。ま、でも確かにそうかもねえ。」
なんて喋りながら、コシャリを二人分買って、エジプシャンカフェに持ち来んで食べた後は、砂糖をどっさり入れた紅茶を飲みながらシーシャを吸いました。ときに、彼の名前はウィなんとかなんとかというアラブ名で、俺がなかなか覚えられないでいると、「みんなはウィリーって呼んでるよ」と教えてくれた。英語が堪能で聡明なこのウィリーに出会う事が、この旅の大きな目的だったことは、後になって分かる。

ウィリー「明日はどうするんだ?」
「ピラミッド見てくるよ。プライベートドライバー雇ったから。」
ウィリー「いくらだった?」
「150ポンド。最初200って言われたけどそれは高すぎるって言ったら150になった。」
ウィリー「それはけっこういい値段だなあ。ラッキーじゃん。」
ここで、もう一人のとても重要な男、通称ソニーが通りかかって、席に合流した。彼はウィリーの雇い主で、すぐそこのユースホステルを経営しているそうだ。奥さんは日本人で、そのおかげで日本人パッカーも多く訪れているらしい。翌日以降のスケジュールを相談するときに、ここでツアーを頼むのも悪くないなと思い、明日のピラミッド観光の後で、その気になったら顔出すよと約束して、ユースへ帰って寝ました。エジプシャンカフェの会計は、ウィリーのおごりでした。(続く)

*デジカメをスタジオに忘れてきたので写真は明日以降にアップしまーす!

POSTED Monday, November 1, 2010 05:53

ハルガダ。

朝一でエジプト航空に行ってカイロ行きのチケットを買って、朝食を取りました。やっとコナーファが食べられた。ルクソールのレストランでは、メニューにはあったけど売り切れちゃってたんだよね。(コナーファを食べる事自体はぜんぜん大変じゃないんだけど、行程的にようやく食べられました。美味しかったー。)紅海の水は、いままで見たどの海とも違って、仰ぎ見たハルガダの青空には、一足早く秋が来ていました。

今はホテルの窓から紅海を眺めながら、嵐のようだった砂漠の旅を振り返ってます。焼けた土の匂いの中、乾いた風がときどきそっと寄り添ってくれるような、そんな旅でした。白砂漠で迷子になった心が、少しづつ、旅の終わりに向けて一つの形をなしつつあるのが、寂しいような、嬉しいような、そんな気持ちです。

アスワンで警察に護衛されながら走ったコンボイ。

ナイル川に沈む夕陽。

満点の星空に広がる天の川。

砂漠で砂まみれになりながらパンクしたタイヤを交換したこと。

いつも救ってくれたのは、子供たちの笑顔だったこと。

まいったなあ。泣きそうだよ。あと数日したら、帰ります。:-)